宋名臣言行録 / 前集巻六・吕夷簡
仁宗以西戎方熾歎人才之乏凡有一介之善必收錄之杜衍經撫關中薦長安布衣雷簡夫才器可任遽命賜對於便殿簡夫辯給善敷奏條列西事甚詳上喜即降㫖中書令檢真宗召种放事公為上言曰臣觀士大夫有口才者未必有實效今遽爵之以美官異時用有不周即難於進莫若且除一官徐觀其能果可用遷推未晚上以為然遂除耀州幕官簡夫後累官至員外郎三司判官而才實無大過人者
新字:仁宗以西戎方熾嘆人才之乏凡有一介之善必収録之杜衍経撫関中薦長安布衣雷簡夫才器可任遽命賜対於便殿簡夫弁給善敷奏条列西事甚詳上喜即降旨中書令検真宗召种放事公為上言曰臣観士大夫有口才者未必有実効今遽爵之以美官異時用有不周即難於進莫若且除一官徐観其能果可用遷推未晩上以為然遂除耀州幕官簡夫後累官至員外郎三司判官而才実無大過人者
書き下し
仁宗、西戎の方に熾んなるを以て、人才の乏しきを歎ず。凡そ一介の善有らば、必ず之を收錄す。杜衍、關中を經撫し、長安の布衣雷簡夫の才器、任ず可きを薦む。遽かに命じて便殿に對を賜う。簡夫は辯給、善く敷奏す。西事を條列すること甚だ詳らかなり。上喜びて即ち㫖を中書に降し、真宗の种放を召せし事を檢せしむ。公、上の為に言いて曰く、臣、士大夫を觀るに、口才有る者、未だ必ずしも實效有らず。今、遽かに之を爵するに美官を以てせば、異時、用いて周からざる有らば、即ち進推に難からん。且く一官を除して徐ろに其の能を觀るに若かず。果たして用う可くんば、遷推するも未だ晚からずと。上、以て然りと為す。遂に耀州の幕官に除す。簡夫、後に累官して員外郎・三司判官に至る。而して才、實に大いに人に過ぐる者無し。
現代語訳
仁宗は西の異民族がまさに盛んなのを見て、人材の乏しいことを嘆いた。わずかな善いところでもあれば、必ず取り立てた。杜衍が関中を管轄し、長安の民間人である雷簡夫は才と器が任に堪えると推薦した。すぐに命じて便殿で拝謁させた。雷簡夫は弁が立ち、うまく奏上した。西方の事を項目立てて述べることがたいそう詳しかった。帝は喜んで、すぐに旨を中書省に下し、真宗が种放を召した先例を調べさせた。公は帝のために申し上げた。「臣が士大夫を見ますに、弁の立つ者が必ずしも実際の効果を上げるとは限りません。いま急にこれに立派な官位を与えて、後日、用いてみて行き届かないことがあれば、すぐに引き立てるのが難しくなります。しばらく一つの官を与えて、ゆっくりその能力を見るに越したことはありません。はたして用いるべきなら、そのとき引き上げても遅くはありません」。帝はそのとおりだとした。そこで耀州の幕僚とした。雷簡夫は後に官を重ねて員外郎・三司判官に至った。しかし才は、実際には人より大きく優れているところが無かった。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』兼愛中昔者、文王の西土を治むるや、日の若く月の若く、乍ち四方に光り、西土に于てす。大國を為して小國を侮らず、衆庶を為して鰥寡を侮らず、暴勢を為して穡人の黍稷狗彘を奪わず。天、屑みて文王の慈を臨む。是を以て老いて子無き者は、其の夀を終うるを得る所有り、獨りにして兄弟無き者は、生人の間に雜わる所有り、少くして其の父母を失う者は、放依して長ずる所有り。此れ文王の事なれば、則ち吾れ今、兼を行わん。昔者、武王、將に泰山に事えんとし、隧む。傳に曰く、「泰山よ、道有る曽孫周王、事有り。大事既に獲て、仁人尚く作り、以て商夏蠻夷醜貉を祗む。周親有りと雖も、仁人に若かず。萬方に罪有らば、維れ予れ一人」と。此れ武王の事を言う。吾れ今、兼を行わん。
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