宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
若陛下實未嘗為則臣之所言猶不失諌官之職萬一有之則臣之進説巳是後時惟冀陛下愛身進徳留意問學清心寡慾增厚福基宣仁后初不知因公言始窮詰其事乃知雇乳母者為劉氏也后怒而撻之由是劉深以怨公
新字:若陛下実未嘗為則臣之所言猶不失諌官之職万一有之則臣之進説巳是後時惟冀陛下愛身進徳留意問学清心寡慾增厚福基宣仁后初不知因公言始窮詰其事乃知雇乳母者為劉氏也后怒而撻之由是劉深以怨公
書き下し
若し陛下實に未だ嘗て爲さずんば、則ち臣の言う所は猶お諫官の職を失わず。萬一之有らば、則ち臣の説を進むるは已に是れ時に後る。惟だ冀わくは陛下身を愛して德に進み、意を問學に留め、心を清くし欲を寡なくして、福基を增厚せよ、と。宣仁后初め知らず。公の言に因りて、始めて其の事を窮詰す。乃ち乳母を雇う者は劉氏爲るを知る。后怒りて之を撻つ。是に由りて劉深く公を怨む。
現代語訳
「もし陛下が実際にそのようなことをなさっていないのであれば、臣の申し上げたことは、なお諫官の職を失わないというだけのことです。万が一そのことがあったのであれば、臣が申し上げるのは、すでに時機に遅れております。ただ願わくは、陛下がお体を大切にして徳に進み、心を学問に留め、心を清らかにして欲を少なくし、幸いの土台を厚くなさいますように」。宣仁太后は初めこのことを知らなかった。劉安世の言葉によって、はじめてその事を追及した。そこで乳母を雇わせたのが劉氏であると分かった。太后は怒って劉氏を打った。これによって劉氏は劉安世を深く恨んだ。
解説
事実かどうかが確定しないまま上奏する、その形を先に片づけています。もし陛下が実際にそのようなことをなさっていないのであれば、臣の申し上げたことは、なお諫官の職を失わないというだけのことです。外れていても職務の範囲。万が一そのことがあったのであれば、臣が申し上げるのは、すでに時機に遅れております。当たっていたなら遅すぎた。どちらに転んでも言う理由が立つ、という置き方でした。結末も隠されていません。これによって劉氏は劉安世を深く恨んだ。
この章句が説くこと
若し陛下実に未だ嘗て為さずんば則ち臣の言う所は猶お諫官の職を失わず万一之有らば則ち臣の説を進むるは已に是れ時に後る陛下身を愛して徳に進み意を問学に留め心を清くし欲を寡なくせよ后怒りて之を撻つ是に由りて劉深く公を怨む諫官時機
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