宋名臣言行録 / 後集巻四・劉敞
奉使契丹公素知敵山川道里敵人道自古北口囬曲千餘里至都河公問曰自松亭趨栁河甚直而近不數日可至中京何不道彼而道此葢敵人常故迂其路欲以國地險逺誇示使者且謂莫習其山川不虞公之問也相與驚顧羞愧即吐其實曰誠如公言時順州山中有異獸如馬而食虎豹敵人不識以問公曰此所謂駮也為言其形狀聲音敵人益歎服
新字:奉使契丹公素知敵山川道里敵人道自古北口囬曲千余里至都河公問曰自松亭趨栁河甚直而近不数日可至中京何不道彼而道此葢敵人常故迂其路欲以国地険遠誇示使者且謂莫習其山川不虞公之問也相与驚顧羞愧即吐其実曰誠如公言時順州山中有異獣如馬而食虎豹敵人不識以問公曰此所謂駮也為言其形状声音敵人益嘆服
書き下し
契丹に奉使す。公素より敵の山川道里を知る。敵人道を古北口より、囘曲すること千餘里にして都河に至らしむ。公問いて曰く、松亭より柳河に趨れば甚だ直にして近く、數日ならずして中京に至る可し。何ぞ彼に道らずして此に道るかと。蓋し敵人は常に故らに其の路を迂らせ、國地の險遠を以て誇りて使者に示し、且つ其の山川を習わずと謂うなり。公の問いを虞らず。相い與に驚き顧みて羞愧し、即ち其の實を吐きて曰く、誠に公の言の如しと。時に順州の山中に異獸有り、馬の如くして虎豹を食う。敵人識らず、以て公に問う。公曰く、此れ所謂駮なりと。爲に其の形狀聲音を言う。敵人益ミ歎服す。
現代語訳
契丹に使いした。劉敞はもとから敵地の山川や道のりを知っていた。契丹の者は古北口から道を取らせ、千余里も曲がりくねって都河に至らせた。劉敞は問うて言った。「松亭から柳河へ向かえば、たいそう真っすぐで近く、数日とかからず中京に着けるはずだ。なぜあちらの道を通らず、こちらを通るのか」。思うに契丹の者は、いつもわざとその道を遠回りさせ、国土の険しさと広さを誇って使者に見せつけ、そのうえ相手はその山川を知るまいと考えていた。劉敞の問いを予想していなかった。互いに驚いて顔を見合わせ、恥じ入って、すぐに実情を白状して言った。「まことに公の言われるとおりです」。当時、順州の山中に不思議な獣がいて、馬のようで虎や豹を食った。契丹の者は知らず、劉敞に問うた。劉敞は言った。「これがいわゆる駮である」。そのために形と姿、鳴き声を説明した。契丹の者はますます感服した。
解説
この章句が説くこと
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