宋名臣言行録 / 前集巻五・薛奎
公知開封明參政鎬為府曹官公待之甚厚直以公輔期之其後公守秦益嘗辟以自隨優禮特異有問公何以知其必貴公曰其為人端肅其言簡而理盡凡人簡重則尊嚴此貴臣相也其後果至參政
新字:公知開封明参政鎬為府曹官公待之甚厚直以公輔期之其後公守秦益嘗辟以自随優礼特異有問公何以知其必貴公曰其為人端粛其言簡而理尽凡人簡重則尊厳此貴臣相也其後果至参政
書き下し
公、開封を知る。明參政鎬、府の曹官為り。公、之を待つこと甚だ厚し。直ちに公輔を以て之を期す。其の後、公、秦・益を守る。嘗て辟して以て自ら隨わしむ。優禮特に異なり。或るひと、公に何を以て其の必ず貴きを知るかを問う有り。公曰く、其の人と為り端肅なり。其の言、簡にして理盡くす。凡そ人、簡重なれば則ち尊嚴なり。此れ貴臣の相なりと。其の後、果たして參政に至る。
現代語訳
公が開封の長官であった。後の参知政事の明鎬は、府の属官であった。公はその者を待遇することがたいそう厚かった。はじめから宰相・執政になる人として期待した。その後、公は秦州・益州を守った。あるとき招いて自分に従わせた。手厚い礼が格別であった。ある人が公に、どうしてその人が必ず貴くなると分かったのかと尋ねた。公は言った。「その人となりは端正で厳粛だ。その言葉は簡潔で、しかも理を尽くしている。およそ人は、簡潔で重々しければ尊厳がある。これは貴臣の相だ」。
解説
属官を見て、将来を言い当てた条です。根拠が三つだけ挙がっています。**人となりが端正で厳粛。言葉が簡潔で、しかも理を尽くしている。**そして一般化しました。**およそ人は、簡潔で重々しければ尊厳がある。**才気でも学識でもなく、言葉数の少なさと過不足の無さで測っています。前に出てきた王曽が「深厚にして寡言」と評されたのと、同じ物差しです。
この章句が説くこと
其の人と為り端粛なり其の言簡にして理尽くす凡そ人簡重なれば則ち尊厳なり此れ貴臣の相なり人物眼簡潔重み
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