宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
又邵氏後錄云予見温公親書一帖云光年五六嵗弄青胡桃女兄欲為脫其皮不得女兄去一婢子以湯脫之女兄復來問脫胡桃皮者光曰自脫也先公適見訶之曰小子何得謾語光自是不敢謾語
新字:又邵氏後録云予見温公親書一帖云光年五六歳弄青胡桃女兄欲為脫其皮不得女兄去一婢子以湯脫之女兄復来問脫胡桃皮者光曰自脫也先公適見訶之曰小子何得謾語光自是不敢謾語
書き下し
又た邵氏後錄に云う、予溫公の親書一帖を見る。云う、光年五六歳、青胡桃を弄ぶ。女兄其の爲に皮を脱がんと欲するも得ず。女兄去る。一婢子湯を以て之を脱ぐ。女兄復た來たりて胡桃の皮を脱ぐ者を問う。光曰く、自ら脱げりと。先公適ま見て之を訶して曰く、小子何ぞ謾語するを得んやと。光是れより敢えて謾語せず。
現代語訳
また『邵氏聞見後録』に言う。私は司馬光の自筆の書き付けを一枚見た。こうある。「光が五、六歳のころ、青い胡桃をもてあそんでいた。姉がそのために皮をむこうとしたが、できなかった。姉が席を外した。一人の下女が湯を使ってこれをむいた。姉が戻って来て、胡桃の皮をむいたのは誰かと尋ねた。光は『自分でむいた』と言った。父がちょうどそれを見ていて、叱って言った。『小僧、どうして偽りを言ってよいものか』。光はこれ以来、あえて偽りを言わなかった」。
解説
自筆の書き付けに、五、六歳の嘘が書き残されています。取るに足りない嘘です。胡桃の皮を誰がむいたか、それだけのこと。父の叱り方も短い。**小僧、どうして偽りを言ってよいものか。**そして結果が一行です。**これ以来、あえて偽りを言わなかった。**小さすぎる出来事だからこそ、覚えていて、老いてから自分で書き留めたのでしょう。生涯の潔白が、この一件から始まったという自己認識です。
この章句が説くこと
光年五六歳青胡桃を弄ぶ一婢子湯を以て之を脱ぐ光曰く自ら脱げりと小子何ぞ謾語するを得んや光是れより敢えて謾語せず嘘幼年
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