宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
慈夀一日送密札與公有為孀婦作主之語仍勅中貴俟報公但曰領㫖公以山陵有事呈乞晚臨後上殿諸公不預既見謂上曰官家不得驚有一文字進呈只是不可泄陛下今日皆太后力恩不可報然既非天屬之親願加意承奉便自無事上曰謹奉教公又云此文字臣不敢留幸宫中宻焚之若泄則間遂開卒難合矣
新字:慈夀一日送密札与公有為孀婦作主之語仍勅中貴俟報公但曰領旨公以山陵有事呈乞晩臨後上殿諸公不預既見謂上曰官家不得驚有一文字進呈只是不可泄陛下今日皆太后力恩不可報然既非天属之親願加意承奉便自無事上曰謹奉教公又云此文字臣不敢留幸宫中宻焚之若泄則間遂開卒難合矣
書き下し
慈壽一日、密札を公に送る。孀婦の爲に主と作れとの語有り。仍りて中貴に勅して報を俟たしむ。公但だ曰く、旨を領すと。公、山陵に事有るを以て呈し、晩に臨みて後に殿に上らんことを乞う。諸公預らず。既に見えて上に謂いて曰く、官家驚くを得ざれ。一の文字有りて進呈す。只だ是れ泄らす可からず。陛下の今日は皆太后の力、恩は報ゆ可からず。然れども既に天屬の親に非ず。願わくは意を加えて承奉せば、便ち自ら事無からんと。上曰く、謹しみて教えを奉ぜんと。公又た云う、此の文字は臣敢えて留めず。幸わくは宮中に密かに之を焚け。若し泄れなば則ち間遂に開き、卒に合し難からんと。
現代語訳
慈寿(曹太后)がある日、密書を韓琦に送ってきた。「寡婦のために主となってくれ」という言葉があった。そのうえで宦官に命じて返事を待たせた。韓琦はただ「承知いたしました」とだけ言った。韓琦は山陵の件があると称して申し出て、遅い時刻になってから殿上に伺うことを願った。ほかの重臣は同席しなかった。会うと天子に言った。「陛下、驚かれませぬよう。一つ文書がございますので差し上げます。ただ、これは漏らしてはなりません。陛下の今日があるのは、みな太后のお力で、その恩は返しきれるものではありません。しかも実の血のつながった親子ではないのです。どうか心を用いてお仕えになれば、おのずと何事もありません」。天子は言った。「謹んで教えを承ろう」。韓琦はさらに言った。「この文書は臣が手元に留めておくわけにはまいりません。どうか宮中で密かに焼いてください。もし漏れれば、隙がそのまま開いて、しまいには合わせがたくなります」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・用間篇微なるかな、微なるかな。間を用いざる所無し。間事未だ発せずして先ず聞こゆれば、間と告げられし所の者と皆死す。
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易経・繋辞上「戸庭を出でず、咎无し。」子曰く、「乱の生ずる所は、則ち言語以て階(きざはし)と為る。君密ならざれば則ち臣を失い、臣密ならざれば則ち身を失い、幾事(きじ)密ならざれば則ち害成る。是を以て君子は慎密にして出ださざるなり」と。子曰く、「易を作る者は其れ盗を知れるか。易に曰く、負い且つ乗る、寇(あだ)の至るを致す、と。負うとは、小人の事なり。乗るとは、君子の器なり。小人にして君子の器に乗る、盗は之を奪わんと思う。上慢り下暴(あら)ければ、盗は之を伐たんと思う。蔵(おさ)むるに慢れば盗を誨(おし)え、容を冶(つく)れば淫を誨う。易に曰く、負い且つ乗る、寇の至るを致すとは、盗を招くなり」と。
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孫子・用間篇故に三軍の事は、間より親きは無く、賞は間より厚きは無く、事は間より密なるは無し。
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孫子・九地篇是の故に政挙がるの日、関を夷らげ符を折り、其の使を通ずること無く、廊廟の上に厲しくして、以て其の事を誅む。敵人開闔せば、必ず亟やかに之に入り、其の愛する所を先にし、微かに之と期し、墨を践みて敵に随い、以て戦事を決す。是の故に始めは処女の如くにして、敵人戸を開き、後には脱兎の如くにして、敵拒ぐに及ばず。
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孫子・九地篇能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革めて、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。
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呂氏春秋・精諭②勝書、周公旦に説きて曰く、「廷小なるに人衆し。徐言すれば則ち聞こえず、疾言すれば則ち人之を知らん。徐言せんか、疾言せんか。」周公旦曰く、「徐言せよ。」勝書曰く、「此に事有り、而るに之を精言すれば而ち明らかならず、之を言うこと勿くんば而ち成らず。精言せんか、言うこと勿からんか。」周公旦曰く、「言うこと勿かれ。」故に勝書は能く不言を以て説き、周公旦は能く不言を以て聽く。此を之れ不言の聽と謂う。不言の謀、不聞の事は、殷、周を惡むと雖も、疵ること能わず。口吻言わず、精を以て相告ぐれば、紂、多心と雖も、知ること能わず。目は無形に視、耳は無聲に聽けば、商の聞衆しと雖も、窺うこと能わず。同惡同好、志皆欲する有れば、天子為ると雖も、離すこと能わず。