宋名臣言行録 / 後集巻十・韓絳
為江南東西路體量安撫問百姓疾苦縣邑以衙前為重役一當其役則破家竭産民至有嫁祖母與母而析生異居以避役者公為五則衙前法奏行之民以為便
新字:為江南東西路体量安撫問百姓疾苦県邑以衙前為重役一当其役則破家竭産民至有嫁祖母与母而析生異居以避役者公為五則衙前法奏行之民以為便
書き下し
江南東西路の體量安撫と爲り、百姓の疾苦を問う。縣邑は衙前を以て重役と爲す。一たび其の役に當たれば則ち家を破り産を竭くす。民に祖母と母とを嫁がせて生を析ち居を異にし、以て役を避くる者有るに至る。公五則の衙前法を爲し、奏して之を行う。民以て便と爲す。
現代語訳
江南東西路の体量安撫となり、百姓の苦しみを尋ねた。県や邑では衙前を重い役としていた。ひとたびその役に当たれば、家を潰し財産を使い果たす。民のなかには、祖母や母を嫁に出して家計を分け、住まいを別にして役を避ける者が出るまでになっていた。公は五段階の衙前法を作り、奏上してこれを行った。民は都合がよいとした。
解説
制度がどれだけ重いかを、数字ではなく、人がとった行動で示しています。**民のなかには、祖母や母を嫁に出して家計を分け、住まいを別にして役を避ける者が出るまでになっていた。**家の格で役が決まるので、家を分ければ格が下がる。そのために年老いた母を嫁に出す。倫を捨ててでも避けたい、というところまで来ていました。直し方は段階を作ることでした。**五段階の衙前法を作り。**
この章句が説くこと
江南東西路の体量安撫と為り百姓の疾苦を問う県邑は衙前を以て重役と為す一たび其の役に当たれば則ち家を破り産を竭くす民に祖母と母とを嫁がせて生を析ち居を異にし以て役を避くる者有るに至る公五則の衙前法を為し奏して之を行う重役破産
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