宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公與南都朱某相善朱且病公視之白公曰某常遇異人得變水銀為白金術吾子幼不足傳今以傳君遂以其方并藥贈公公不納強之乃受未嘗啟封後其子寀長公教之義均子弟及宷登第乃以所封藥併其術還之
新字:公与南都朱某相善朱且病公視之白公曰某常遇異人得変水銀為白金術吾子幼不足伝今以伝君遂以其方并薬贈公公不納強之乃受未嘗啟封後其子寀長公教之義均子弟及宷登第乃以所封薬併其術還之
書き下し
公、南都の朱某と相い善し。朱且つ病む。公之を視る。白公に曰く、某、常て異人に遇い、水銀を變じて白金と為すの術を得たり。吾が子、幼くして傳うるに足らず。今、以て君に傳えんと。遂に其の方并びに藥を以て公に贈る。公納れず。之を強う。乃ち受く。未だ嘗て封を啟かず。後、其の子寀長ず。公之に教うること義、子弟に均し。寀の第に登るに及び、乃ち封ずる所の藥并びに其の術を以て之に還す。
現代語訳
公は南都の朱某と親しかった。朱某が病んだ。公は見舞った。公に言った。「私はかつて不思議な人に会って、水銀を変えて白金にする術を得ました。私の子はまだ幼くて伝えるに足りません。いまそれを君に伝えます」。そしてその処方と薬を公に贈った。公は受け取らなかった。強く勧められた。そこで受け取った。一度も封を開けなかった。後にその子の朱寀が成長した。公はこの子を教えることが、自分の子弟と同じ道理であった。朱寀が及第したときに、封じたままの薬とその術を返した。
解説
預かったものを、封も開けずに返した条です。**一度も封を開けなかった。**中身を見なかったのですから、術も薬も自分のものになっていません。そして子が成長するまで自分の子と同じように教え、**及第したときに封じたまま返した。**返すだけでなく、返せる相手に育ててから返しています。杜衍が幼いころ、流されながら祖父の帽子を濡らさなかった条と、同じ形の一条です。
この章句が説くこと
水銀を変じて白金と為すの術を得たり今以て君に伝えん乃ち受く未だ嘗て封を啟かず寀の第に登るに及び乃ち封ずる所の薬并びに其の術を以て之に還す預かり信義教育
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