宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
公以儉約率子弟使在富貴不為驕侈兄子睦欲舉進士公曰吾常以太盛為懼其可與寒士爭進至其薨也子素猶未官遺表不求恩澤
新字:公以倹約率子弟使在富貴不為驕侈兄子睦欲舉進士公曰吾常以太盛為懼其可与寒士争進至其薨也子素猶未官遺表不求恩沢
書き下し
公、儉約を以て子弟を率い、富貴に在りて驕侈を為さざらしむ。兄の子睦、進士に舉げられんと欲す。公曰く、吾れ常に太盛を以て懼れと為す。其れ寒士と進を爭う可けんやと。其の薨ずるに至るや、子の素猶お未だ官せず。遺表に恩澤を求めず。
現代語訳
公は倹約をもって子弟を率い、富貴の中にあっても驕り贅沢をしないようにさせた。兄の子の王睦が進士の試験を受けたいと言った。公は言った。「私はつねづね、家が盛んになりすぎることを恐れている。貧しい士と進むことを争ってよいものか」。公が亡くなるときにも、子の王素はまだ官に就いていなかった。遺言の上表にも、恩恵を求めなかった。
解説
甥が科挙を受けたいと言ったのを止めた条です。理由は**家が盛んになりすぎることを恐れている、貧しい士と席を争ってよいものか**でした。実力で受ける試験ですら、家の勢いが加われば公平でなくなると見ています。死ぬときにも子は官に就いておらず、遺言でも恩恵を求めませんでした。呂蒙正が息子の初任官を下げさせた条と、同じ場所に線を引いています。
この章句が説くこと
吾れ常に太盛を以て懼れと為す其れ寒士と進を争う可けんや遺表に恩沢を求めず身内公平抑制
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