宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
吕晦叔真大臣其言簡而意足孫莘老嘗言裕陵好問且曰好問則裕晦叔曰好問而裕不若聽徳而聰人有非劉向強聒而不舍者晦叔曰劉向貴戚之卿此語可謂忠厚然向之眷眷於漢室而不忍去則是也至於上變論事亦可謂不知命矣
新字:呂晦叔真大臣其言簡而意足孫莘老嘗言裕陵好問且曰好問則裕晦叔曰好問而裕不若聴徳而聰人有非劉向強聒而不舎者晦叔曰劉向貴戚之卿此語可謂忠厚然向之眷眷於漢室而不忍去則是也至於上変論事亦可謂不知命矣
書き下し
呂晦叔は眞の大臣なり。其の言は簡にして意足る。孫莘老嘗て言う、裕陵は問うを好むと。且つ曰く、問うを好めば則ち裕なりと。晦叔曰く、問うを好みて裕なるは、德を聽きて聰なるに若かずと。人に劉向の強聒して舎かざるを非とする者有り。晦叔曰く、劉向は貴戚の卿なり。此の語は忠厚と謂う可し。然れども向の漢室に眷眷として去るに忍びざるは則ち是なり。上變論事に至りては亦た命を知らずと謂う可しと。
現代語訳
呂公著は真の大臣である。その言葉は簡潔で意味が足りている。孫覚がかつて言った。「神宗は問うことを好まれる」。そのうえで言った。「問うことを好めば、心が裕かになる」。呂公著は言った。「問うことを好んで裕かであるのは、徳を聴いて聡いのに及ばない」。人のなかに、劉向がやかましく言い立ててやめなかったのを非とする者があった。呂公著は言った。「劉向は皇族の縁につながる卿である。この評は忠厚と言ってよい。しかし劉向が漢室に心を寄せて去るに忍びなかったのは、正しい。事変を上申して論じたことに至っては、天命を知らなかったと言うべきだろう」。
解説
褒め言葉に、一段上を足す形の答えが二つ並びます。**問うことを好めば、心が裕かになる。**もっともです。そこへ一句。**問うことを好んで裕かであるのは、徳を聴いて聡いのに及ばない。**問うのは自分から出る動きで、聴くのは相手を受け入れる動きです。二つ目も同じ形でした。人の評を否定せず、正しい部分を認めたうえで、残りだけを分けています。**漢室に心を寄せて去るに忍びなかったのは、正しい。**
この章句が説くこと
呂晦叔は真の大臣なり其の言は簡にして意足る孫莘老嘗て言う裕陵は問うを好む問うを好めば則ち裕なり問うを好みて裕なるは徳を聴きて聰なるに若かず問い聴く
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