宋名臣言行録 / 前集巻十・胡瑗
侍講布衣時與孫明復石守道同讀書泰山攻苦食淡終夜不寢一坐十年不歸得家問見上有平安二字即投之澗中不復展讀
新字:侍講布衣時与孫明復石守道同読書泰山攻苦食淡終夜不寝一坐十年不帰得家問見上有平安二字即投之澗中不復展読
書き下し
侍講、布衣の時、孫明復・石守道と同じく泰山に讀書す。苦を攻め淡を食らい、終夜寢ねず、一坐十年、歸らず。家問を得て、上に「平安」の二字有るを見れば、即ち之を澗中に投じて、復た展べ讀まず。
現代語訳
胡瑗が、まだ官に就かない布衣の時代、孫復・石介とともに泰山にこもって読書した。苦しさに耐え、粗末なものを食べ、夜通し寝ず、ひとところに座ったまま十年、家に帰らなかった。家からの便りを受け取って、上のほうに「平安」の二字があるのを見ると、そのまま谷川に投げ捨てて、二度と開いて読まなかった。
解説
胡瑗(九九三〜一〇五九)は、宋学が立ち上がる直前を支えた「宋初三先生」の一人。安定先生と呼ばれます。この条は、その修学時代です。**家からの便りの上に「平安」の二字を見たら、残りは読まずに谷川へ投げた。**無事だと分かった時点で、その手紙にはもう用が無い。心が揺れる材料を、読む前に自分の手元から消しています。同じ泰山にいた孫復・石介が、この後の条に続きます。
この章句が説くこと
孫明復石守道と同じく泰山に読書す苦を攻め淡を食らい終夜寝ねず一坐十年帰らず上に平安の二字有るを見れば即ち之を澗中に投ず修学克己集中
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗先生、尤も患う、隋唐以來、仕進に文詞を尚びて經業を遺て、苟くも禄利に趨るを。蘇・湖二州の教授と爲るに及び、條約を嚴にして、身を以て之に先んず。大暑と雖も必ず公服して終日、以て諸生に見ゆ。經を解して要義有るに至れば、懇懇として諸生の爲に、其の己を治めて而る後に人を治むる所以の者を言う。學徒千數、日月に刮劘し、文章を爲るに皆經義を傳え、必ず理を以て勝る。其の師説を信じ、行實を敦く尚ぶ。後、太學と爲るや、四方之に歸し、庠舍容るる能わず、旁ら歩軍の居を拓きて以て之を廣む。五經の異論、弟子之を記して、目して胡氏口義と爲す。
-
『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗國子監を判す。其の諸生を教育するに法有り。先生諸生に語りて曰く、食飽きては未だ案に據る可からず、或いは乆しく坐すも、皆氣血に傷有り。當に射を習い投壺し、游息すべしと。是れ亦た食らいて語らず、寢ねて言わざるの遺意なり。程伊川曰く、凡そ安定先生に從いて學ぶ者は、其の醇厚和易の氣、之を望みて知る可きなりと。
-
『宋名臣言行録』前集巻十・孫復先生、胡瑗の人と爲りを惡み、太學に在りて常に相い避く。瑗の經を治むるは先生に如かざるも、教養は之に過ぐ。
-
『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗侍講、召對に當たりて、例として須らく先ず閣門に就きて儀を習うべし。侍講曰く、吾が平生讀む所の書は、即ち君に事うるの禮なり。何ぞ習うを以て爲さんと。閣門奏す。上、舟次に就きて之を習わしむ。侍講固く辭す。上も亦た之を强いず。人皆謂う、山野の人、必ず儀を失わんと。對に登るに及び、乃ち大いに旨に稱う。上、左右に謂いて曰く、胡瑗の進退周旋、擧げて古禮に合うと。
-
『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗皇祐・至和の間、國子直講と爲る。朝廷命じて太學を主らしむ。生千餘人。先生日び易を講ず。講じ罷むごとに、或いは當世の事を引きて以て之を明らかにす。小畜に至り、以爲えらく、畜は止むるなり、臣の君を止むるなりと。已にして乃ち言、中令趙公の碎く所の劄子を補いて藝祖に呈せし事に及ぶ。
-
『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗初め直講と爲るや、㫖有りて專ら一學の政を掌る。遂に誠を推して多士を教育し、亦た人物を甄別す。故に經術を好み尚ぶ者、兵戰を談ずるを好む者、文藝を好む者、節義を好み尚ぶ者、皆之をして類を以て羣居し、相い與に講習せしむ。胡も亦た時に之を召して、其の學ぶ所を論ぜしめ、爲に其の理を定む。或いは自ら一義を出だして、人人をして對を以てせしめ、之を可否す。當時の政事、之をして折□せしむ。故に人皆從うを樂しみて成る有り。今の朝廷の名臣は、徃徃にして胡の徒なり。