宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
自陜右用兵公私困乏公言自祥符以來萬事惰弛務為姑息漸失祖宗之舊取士任子磨勘遷補之法既壊而任將養兵皆非舊律國用既窘則政出多門大商姦民乗隙射利而茶鹽香礬之法亂矣此治亂盛衰之本不可以不急治且比年以來朝廷頗引輕嶮之人布之言路違道干譽利口為賢内則臺諌外則監司下至吏胥僮僕皆可搆危其上自將相公卿宿貴之人皆争屈體以收禮後軰有不然者則謗毁隨之惴惴焉惟恐不免何暇展布心腹為國立事哉此風不革天下無時而治也
新字:自陜右用兵公私困乏公言自祥符以来万事惰弛務為姑息漸失祖宗之旧取士任子磨勘遷補之法既壊而任将養兵皆非旧律国用既窘則政出多門大商姦民乗隙射利而茶塩香礬之法乱矣此治乱盛衰之本不可以不急治且比年以来朝廷頗引軽嶮之人布之言路違道干誉利口為賢内則台諌外則監司下至吏胥僮僕皆可搆危其上自将相公卿宿貴之人皆争屈体以収礼後軰有不然者則謗毁随之惴惴焉惟恐不免何暇展布心腹為国立事哉此風不革天下無時而治也
書き下し
陝右の用兵より公私困乏す。公言う、祥符以來萬事惰弛し、務めて姑息を爲し、漸く祖宗の舊を失う。士を取り子に任じ、磨勘遷補の法は既に壞れ、而して將に任じ兵を養うも皆舊律に非ず。國用既に窘しければ則ち政は多門より出で、大商姦民は隙に乘じて利を射る。而して茶・鹽・香・礬の法亂る。此れ治亂盛衰の本、以て急に治めざる可からず。且つ比年以來、朝廷頗る輕嶮の人を引きて之を言路に布く。道に違いて譽を干め、利口を賢と爲す。内は則ち臺諫、外は則ち監司、下は吏胥僮僕に至るまで、皆其の上を構危す可し。將相公卿宿貴の人より、皆爭いて體を屈して以て後輩を收禮す。然らざる者有らば則ち謗毀之に隨う。惴惴焉として惟だ免れざるを恐る。何ぞ心腹を展布して國の爲に事を立つるに暇あらんや。此の風革まらずんば、天下時として治まる無きなりと。
現代語訳
陝西西部での戦以来、公私ともに困窮した。張方平は言った。「祥符以来、万事がだらけて緩み、その場しのぎに努めて、しだいに祖宗の旧法を失いました。士を採り子を任じ、勤務評定と昇進補充の法はすでに崩れ、将に任じ兵を養うのも、みな旧来の律ではありません。国庫が窮すれば政は多くの門から出て、大商人や悪辣な民が隙に乗じて利を狙います。そして茶・塩・香・礬の法は乱れました。これは治乱盛衰の根本であり、急いで整えないわけにいきません。そのうえ近年以来、朝廷はずいぶん軽薄で険しい人を引き上げて言論の路に配しています。道に背いて誉れを求め、口の達者な者を賢しとします。内は御史台と諫院、外は監司、下は下級役人や召使いに至るまで、みなその上の者を陥れて危うくすることができます。将相公卿や古参の貴人までが、みな争って身をかがめて後輩を礼遇します。そうしない者があれば、そしりがそれに続きます。びくびくとして、ただ免れないことを恐れる。どうして心中を尽くして、国のために事を成す暇がありましょうか。この風潮が改まらなければ、天下はいつまでも治まりません」。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平然れども予、張公の論は其の一を得て其の二を得ずと以う。徒だ今世の朝廷の輕きこと甚だしきを見る。故に曩日の重きを思う。然れども其の敝を知らざるなり。大臣恣に非横を爲して、下之を動かす能わざるに由る。其の害も亦た細ならず。丁晉公の時をして臺諫の言事必ず聽かれしめば、已に仁宗中年の若く、其の敗は已に久しからん。申公に至りては、諸公の並びに其の短を攻むるに非ずんば、其の害も亦た必ず甚だしき者有らん。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平仁宗初年、王沂公・呂申公政を爲し、猶お此の論を持す。六科を設けてより以來、士の翹秀なる者は皆國政の長短を爭論す。二公既に罷むれば、則ち輕鋭の士稍稍進むを得、漸く奇論を爲して以て朝廷を撼かす。朝廷往往之が爲に動搖す。廟堂の淺深既に得て知る可くして、名を好み事を喜ぶの人勝てり。申公復た相と作ると雖も、然れども其の舊俗を守る能わず。意喜ばずと雖も、亦た風に從いて靡けり。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平其の始めや、范諷・孔道輔・范仲淹の三人、才能を以て之が稱首と爲る。其の後、晏元獻政を爲し、鄭公參政に入り、多く諫官を置きて以て上の聽を廣くす。上方に之に嚮い、而して晏公深く之が助けを爲す。乃ち歐陽脩・余靖・蔡襄・孫沔等を用いて並びに諫官と爲す。諫官の勢い此れより日に横なり。鄭公尤も身を傾けて士に下り、以て譽を求む。相い師として風を成す。上は謙虚を以て賢と爲し、下は傲誕を以て髙しと爲す。是に於いて私説遂に勝ちて朝廷輕し。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平元昊叛き、陝西四路に帥を置く。夏竦總帥と爲り、長安に居りて邊に臨まず。公諫官と爲りて言う、竦は長安に端坐して未だ嘗て敵に臨まず。諸路の失律は一に皆問わず。總師の名有りて總師の實無し。乞う、四路の敗事に據りて責罰を加え、而して總帥を罷め、四路の帥臣に傳えて自ら戰守の計に任ぜしめよと。之に從う。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平張公安道嘗て予の爲に言う、道は民を明らかにするに非ず。將に以て之を愚にせんとす。國朝は眞宗以前より、朝廷尊嚴にして天下の私説行われず。奇を好み事を喜ぶの人、敢えて事を以て朝廷を搖撼せず。故に天下の士は詩賦を爲して以て科第を取るを知り、其の他を知らず。諺に曰く、水到れば魚行くと。既に以て之に官すれば、其の政を知らざるを患えざるなり。昔の名宰相は皆此の術を以て天下を馭すと。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平蓋し朝廷の重輕は則ち此に在らず。誠に正人をして上に在り、物と私無く、舉動適當ならしめば、下以て之を議する無くして朝廷重からん。安んぞ下をして議するを得ざらしむるに在らんや。下情の上に通ぜざるは、此れ亦た人主の深患なり。可なれば則ち之に從い、否なれば則ち之に違う。豈に重きに害あらんや。西漢の初め、專ら功臣に任ず。侯なる者は絳・灌の流の如し。賢ならずと謂う可からず。而して賈誼・董仲舒をして皆死に至るまで用事するを得ざらしむるに至る。偏なれば則ち害生ず。故に曰く、張公は其の一を得て其の二を得ざるなりと。