宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
命既出今上再三辭避至七年二月一日服除堅卧稱疾前後十餘讓余奏曰宗室自來不領職事今外人忽見不次擢用皆知將立為皇子不若正其名命立為皇子縁誥□降付閤門某得以堅卧不受若立為皇子只煩陛下命學士作一詔書告報天下事即定矣不由某受不受也韓公力賛之遂降詔立為皇子仍更名某
新字:命既出今上再三辞避至七年二月一日服除堅卧称疾前後十余譲余奏曰宗室自来不領職事今外人忽見不次擢用皆知将立為皇子不若正其名命立為皇子縁誥□降付閤門某得以堅卧不受若立為皇子只煩陛下命学士作一詔書告報天下事即定矣不由某受不受也韓公力賛之遂降詔立為皇子仍更名某
書き下し
命既に出でて、今上再三辭避す。七年二月一日に至り、服除かるるも堅く臥して疾と稱す。前後十餘たび讓る。余奏して曰く、宗室は自來職事を領せず。今外人忽ち不次の擢用を見れば、皆將に皇子に立てんとするを知る。其の名を正して皇子に立つるを命ずるに如かず。誥□降りて閤門に付するに縁りて、某は以て堅く臥して受けざるを得るなり。若し皇子に立つれば、只だ陛下を煩わして學士に命じ一詔書を作りて天下に告報せしむれば、事は即ち定まらん。某の受くると受けざるとに由らざるなりと。韓公力めて之を賛す。遂に詔を降して皇子に立て、仍りて名を某と更む。
現代語訳
命がすでに出て、今上はたびたび辞退した。七年二月一日になり、喪が明けてもなお固く臥せって病と称した。前後十余回にわたって譲った。私は奏して言った。「宗室はこれまで職務を領したことがありません。いま外の者が突然の異例の抜擢を見れば、みな皇子に立てるつもりだと分かります。それならば、名を正して皇子に立てるよう命じるにしかず。詔書が〔一字を欠く〕下って閤門に渡される経路であるがゆえに、あの方は固く臥せって受け取らずにいられるのです。もし皇子に立てるのであれば、ただ陛下が学士に命じて詔書を一通作らせ、天下に告げ知らせるだけで、事はすぐ定まります。あの方が受け取るか受け取らないかによりません」。韓琦は力を尽くしてこれに賛成した。ついに詔を下して皇子に立て、あわせて名を某と改めた。
解説
この章句が説くこと
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論語・顔淵篇子曰く、訟を聴くは、吾猶お人のごときなり。必ずや訟無からしめんか。
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孫子・九地篇能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革めて、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。
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