宋名臣言行録 / 前集巻六・吕夷簡
及文正知延州移書諭元昊以利害元昊復書語極悖慢文正具奏其狀焚其書不以聞時宋庠為參政先是公執政諸公唯諾書紙尾而已不敢有所預宋公多與之論辨公不悦一日二人獨在中書公從容言曰人臣無外交希文乃擅與元昊書得其書又焚不奏他人敢爾耶宋公以為公誠深罪范也時朝廷命文正分析文正奏臣始聞虜有悔過之意故以書誘諭之㑹任福敗虜勢益振故復書悖慢臣以為使朝廷見之而不能討則辱在朝廷乃對官屬焚之使若朝廷初不知者則辱専在臣矣故不敢以聞也奏上兩府共進呈宋公遽曰仲淹可斬杜祁公時為樞宻副使曰仲淹之志出于忠果欲為朝廷招叛虜耳何可深罪爭之甚力宋公謂公必有言助已而公黙然終無一語上顧問公何如公曰杜衍之言是也止可薄責而已乃降一官知耀州于是論者諠然而宋公不知為公所賣也尋出知揚州
新字:及文正知延州移書諭元昊以利害元昊復書語極悖慢文正具奏其状焚其書不以聞時宋庠為参政先是公執政諸公唯諾書紙尾而已不敢有所預宋公多与之論弁公不悦一日二人独在中書公従容言曰人臣無外交希文乃擅与元昊書得其書又焚不奏他人敢爾耶宋公以為公誠深罪范也時朝廷命文正分析文正奏臣始聞虜有悔過之意故以書誘諭之会任福敗虜勢益振故復書悖慢臣以為使朝廷見之而不能討則辱在朝廷乃対官属焚之使若朝廷初不知者則辱専在臣矣故不敢以聞也奏上両府共進呈宋公遽曰仲淹可斬杜祁公時為枢宻副使曰仲淹之志出于忠果欲為朝廷招叛虜耳何可深罪争之甚力宋公謂公必有言助已而公黙然終無一語上顧問公何如公曰杜衍之言是也止可薄責而已乃降一官知耀州于是論者諠然而宋公不知為公所売也尋出知揚州
書き下し
文正の延州を知るに及び、書を移して元昊に利害を諭す。元昊の復書、語極めて悖慢なり。文正、具さに其の狀を奏し、其の書を焚きて以て聞せず。時に宋庠、參政為り。是より先、公執政するに、諸公唯諾して紙尾に書するのみ。敢えて預る所有らず。宋公、多く之と論辨す。公悦ばず。一日、二人獨り中書に在り。公從容として言いて曰く、人臣に外交無し。希文、乃ち擅に元昊に書を與う。其の書を得て又た焚きて奏せず。他人、敢えて爾らんやと。宋公、以為えらく、公は誠に深く范を罪するなりと。時に朝廷、文正に分析を命ず。文正奏す、臣、始め虜に悔過の意有るを聞く。故に書を以て之を誘諭す。㑹々任福敗れ、虜の勢い益々振るう。故に復書悖慢なり。臣以為えらく、朝廷をして之を見せしめて討つ能わずんば、則ち辱は朝廷に在り。乃ち官屬に對して之を焚き、朝廷、初め知らざる者の若くならしむ。則ち辱、専ら臣に在らんと。故に敢えて以て聞せざるなりと。奏上る。兩府共に進呈す。宋公遽かに曰く、仲淹は斬る可しと。杜祁公、時に樞宻副使為り。曰く、仲淹の志は忠に出づ。果たして朝廷の為に叛虜を招かんと欲するのみ。何ぞ深く罪す可けんやと。之を爭うこと甚だ力む。宋公、公に必ず言有りて己を助けんと謂う。而して公黙然として終に一語無し。上、顧みて公に何如と問う。公曰く、杜衍の言は是なり。止だ薄く責む可きのみと。乃ち一官を降して耀州を知らしむ。是に於て論ずる者諠然たり。而して宋公、公の賣る所と為るを知らざるなり。尋いで出でて揚州を知る。
現代語訳
范仲淹が延州の長官となったとき、書状を送って趙元昊に利害を説いた。元昊の返書は、言葉がきわめて無礼であった。范仲淹はその一部始終を奏上し、その書状は焼いて報告しなかった。当時、宋庠が参知政事であった。これより前、公が政を執っているとき、諸公は「はい」と言って紙の末尾に署名するだけであった。あえて口を出す者がなかった。宋庠はよく公と議論した。公は快く思わなかった。ある日、二人だけが中書省にいた。公はゆったりと言った。「臣下に外国との私交はない。范仲淹は勝手に元昊に書状を送った。その返書を受け取って、しかも焼いて奏上しなかった。他の者にこんなことができようか」。宋庠は、公は本気で范仲淹を罪に問うつもりだと思った。当時、朝廷は范仲淹に釈明を命じていた。范仲淹は奏上した。「臣は、はじめ敵に過ちを悔いる意があると聞きました。だから書状で誘い諭したのです。ちょうど任福が敗れ、敵の勢いはますます盛んになりました。だから返書が無礼だったのです。臣は、朝廷にそれを見せて討つことができないなら、恥は朝廷にあると考えました。そこで属官の前でそれを焼き、朝廷ははじめから知らなかったようにしたのです。そうすれば恥はもっぱら臣にあります。だからあえて報告しなかったのです」。上奏が届いた。二府がそろって差し出した。宋庠はすぐさま言った。「范仲淹は斬るべきです」。杜衍が当時、枢密副使であった。言った。「范仲淹の志は忠から出ている。まさに朝廷のために叛いた敵を招こうとしただけだ。どうして深く罪に問えようか」。たいそう力を尽くして争った。宋庠は、公がきっと何か言って自分を助けてくれると思った。ところが公は黙ったまま、ついに一言も出さなかった。帝は振り返って公にどうかと尋ねた。公は言った。「杜衍の言葉が正しい。ただ軽く責めるだけでよいでしょう」。そこで官を一階下げて耀州の長官にした。そこで論ずる者たちが騒然とした。しかし宋庠は、自分が公に売られたことを知らなかった。ほどなく都を出て揚州の長官となった。
解説
この章句が説くこと
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