宋名臣言行録 / 後集巻四・劉敞
公學問廣博無書不通自浮屠老子以及山經地誌隂陽卜筮醫藥天文畧皆究知嘗齋太乙宫與内弟王欽臣夜語曰嵗星往來虚危間色甚明盛以吾觀之當有興於齊者嵗餘英宗以齊州防禦使入繼大統遂登大位
新字:公学問広博無書不通自浮屠老子以及山経地誌陰陽卜筮医薬天文畧皆究知嘗斎太乙宫与内弟王欽臣夜語曰歳星往来虚危間色甚明盛以吾観之当有興於斉者歳余英宗以斉州防禦使入継大統遂登大位
書き下し
公の學問は廣博、書として通ぜざる無し。浮屠・老子より、以て山經・地誌・陰陽・卜筮・醫藥・天文に及ぶまで、略ミ皆究知す。嘗て太乙宮に齋し、内弟王欽臣と夜語して曰く、歳星は虚危の間を往來し、色甚だ明盛なり。吾が觀る所を以てすれば、當に齊に興る者有るべしと。歳餘にして英宗、齊州防禦使を以て入りて大統を繼ぎ、遂に大位に登る。
現代語訳
劉敞の学問は広く博く、通じていない書物がなかった。仏教や老子から、山経・地誌・陰陽・卜筮・医薬・天文に至るまで、おおむねすべて究めていた。かつて太乙宮で潔斎し、義弟の王欽臣と夜語らって言った。「歳星は虚と危のあいだを行き来し、色がたいそう明るく盛んである。私の見るところでは、斉に興る者があるはずだ」。一年あまりして英宗が斉州防禦使から入って大統を継ぎ、ついに帝位に登った。
解説
この巻の劉敞は、地理を知っていて契丹の演出を崩し、諡の基準を持ち出し、尊号に現状を突きつけました。どれも知識を根拠にした人です。最後に置かれたのが天文でした。**歳星は虚と危のあいだを行き来し、色がたいそう明るく盛んである。私の見るところでは、斉に興る者があるはずだ。**分野の並びが面白い。**仏教や老子から、山経・地誌・陰陽・卜筮・医薬・天文に至るまで。**どこに使い道があるか分からないものを、全部持っていた人でした。
この章句が説くこと
公の学問は広博書として通ぜざる無し浮屠老子より以て山経地誌陰陽卜筮医薬天文に及ぶまで略ミ皆究知す歳星は虚危の間を往来し色甚だ明盛なり当に斉に興る者有るべし博学天文
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻四・劉敞已にして起居注を脩むる馮京、復た言事を以て職を奪わる。公奏事に因る。上公に謂いて曰く、吳充は乃ち是れ職を振るうなり。馮京の意も亦た他無し。中書其の太だ直きを惡みて含容を與えざるのみと。公奏して言う、古より惟だ人主の直言を容受する能わずして或いは竄謫を致す有り。今は則ち然らず。上は慈仁にして諫を好む。而るに中書は聖德の美に將順するに務めずして言者を排逐す。乃ち是れ君の明を蔽い君の善を止むるなり。必ず且に陰陽を感動して風霧・日食・地震の變有らんとすと。居ること五日、地果たして鎮戎軍に震う。而して都下は雪後累日昏霾し、太陽の色昏濁たり。略ミ皆公の言の如し。公又た上に威權を收攬し、聰明をして蔽塞せしむる無く、法令の行われざるをして災變を消さしめんことを勸む。上深く之を納る。
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『宋名臣言行録』後集巻四・劉敞揚を治む。前の守の政苛にして吏民安んぜず。公寬簡を以て之に附す。而して民大いに和す。鄆に至るに及び、月餘にして境内の政清く、盜賊屏息す。是より先、西路久しく旱し、鄆尤も蝗多し。公境に入りて雨至り、州に數日して蝗自ら境を出でて亡げ去る。
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