宋名臣言行録 / 前集巻八・狄青
京師火禁甚嚴將夜分即滅燭故士庶家凡有醮祭者必先闗廂吏以其焚楮幣在中夕之後故也至和嘉祐間公爲樞使一夕夜醮而勾當人偶失告報中夕驟有火光探吏馳白廂主又報開封知府到宅則火滅久矣翊日都下盛傳狄相公家有光怪燭天者時劉敞爲知制誥聞之語權知開封王素曰昔朱全忠居午溝夜光怪出屋隣里謂失火徃救則無之今日之異得無類此矣此語諠於搢紳間狄不自安遽乞陳州遂薨於鎮夜醮之事竟無人爲辨之者
新字:京師火禁甚厳将夜分即滅燭故士庶家凡有醮祭者必先関廂吏以其焚楮幣在中夕之後故也至和嘉祐間公為枢使一夕夜醮而勾当人偶失告報中夕驟有火光探吏馳白廂主又報開封知府到宅則火滅久矣翊日都下盛伝狄相公家有光怪燭天者時劉敞為知制誥聞之語権知開封王素曰昔朱全忠居午溝夜光怪出屋隣里謂失火往救則無之今日之異得無類此矣此語諠於搢紳間狄不自安遽乞陳州遂薨於鎮夜醮之事竟無人為弁之者
書き下し
京師の火禁、甚だ嚴なり。夜分に將ならば即ち燭を滅す。故に士庶の家、凡そ醮祭有る者は、必ず先ず廂吏に闗す。其の楮幣を焚くこと中夕の後に在るを以ての故なり。至和・嘉祐の間、公、樞使と爲る。一夕、夜醮して勾當人、偶ま告報を失う。中夕、驟かに火光有り。探吏馳せて廂主に白す。又た開封の知府の宅に到るを報ず。則ち火滅して久し。翊日、都下に盛んに傳う、狄相公の家に光怪の天を燭らす者有りと。時に劉敞、知制誥と爲る。之を聞き、權知開封王素に語りて曰く、昔、朱全忠、午溝に居る。夜、光怪、屋を出づ。隣里、失火と謂いて徃きて救えば則ち之れ無し。今日の異、之に類する無きを得んやと。此の語、搢紳の間に諠し。狄、自ら安んぜず。遽かに陳州を乞う。遂に鎮に薨ず。夜醮の事、竟に人の爲に之を辨ずる者無し。
現代語訳
都の火の禁令はたいそう厳しかった。夜半になると灯りを消した。だから士も庶民も、家で醮祭を行う者は、必ず先に地区の役人に届け出た。紙銭を焼くのが夜半の後になるからである。至和・嘉祐の間、公は枢密使であった。ある夜、夜の醮祭を行ったが、担当の者がたまたま届け出を怠った。夜半、突然に火の光があった。見回りの役人が走って地区の長に告げた。さらに開封の知府の家にも報せた。そのときにはもう火は消えて久しかった。翌日、都で盛んに噂が広まった。狄相公の家に、天を照らす怪しい光があった、と。当時、劉敞が知制誥であった。それを聞いて、権知開封の王素に言った。「昔、朱全忠が午溝に住んでいた。夜、怪しい光が屋根から出た。隣近所は火事だと思って行って救おうとしたが、何も無かった。今日の異変は、それに似ていないと言えるだろうか」。この言葉が官人たちの間で騒がれた。狄青は落ち着かなくなった。すぐに陳州へ出ることを願い出た。そこで任地で死んだ。夜の醮祭のことは、けっきょく誰も弁明してやる者がなかった。
解説
この章句が説くこと
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論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
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徒然草・第73段世にかたり伝ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言なり。あるにも過ぎて、人はものをいひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、いひたき侭に語りなして、筆にも書き留めぬれば、やがて定りぬ。道々のものの上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに神の如くにいへども、道知れる人は更に信も起さず。音にきくと見る時とは、何事も変るものなり。かつ顕はるゝも顧みず、口に任せていひちらすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又我も実しからずは思ひながら、人のいひし侭に、鼻の程をごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく、所々うちおぼめき、能く知らぬよしして、さりながら、つまづま合せて語る虚言は、恐ろしき事なり。わが為面目あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず、皆人の興ずる虚言は、一人さもなかりし物といはむも詮なくて、聞き居たる程に、證人にさへなされて、いとゞ定りぬべし。とにもかくにも虚言多き世なり。唯常にある、珍しからぬ事の侭に心えたらむ、よろづ違ふべからず。下ざまの人のものがたりは、耳驚くことのみあり。よき人はあやしき事を語らず。かくはいへど、仏神の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは世俗の虚言を懇に信じたるも、をこがましく、「よもあらじ。」などいふも詮なければ、大方は真しくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひあざけるべからず。
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徒然草・第50段応長のころ、伊勢の国より、女の鬼になりたるを率て上りたりといふ事ありて、その頃二十日ばかり、日ごとに京白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に参りたりし、今日は院へまゐるべし。たゞ今はそこそこに。」など云ひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言といふ人もなし。上下たゞ鬼の事のみいひやまず。その頃東山より、安居院の辺へまかり侍りしに、四条より上ざまの人、みな北をさして走る。「一条室町に鬼あり。」とのゝしりあへり、今出川の辺より見やれば、院の御棧敷のあたり、更に通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき事にはあらざんめりとて、人をやりて見するに、大方あへるものなし。暮るゝまでかく立ちさわぎて、はては闘諍おこりて、あさましきことどもありけり。そのころおしなべて、二日三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虚言は、この兆を示すなりけり。」といふ人も侍りし。