宋名臣言行録 / 後集巻九・曾肇
公在邇英讀史記至堯崩三年之䘮畢因言堯舜同出黄帝舜且為堯䘮三年者舜嘗臣堯故也侍讀温益進言曰史記世次不足信若堯舜同出則舜娶堯女為娶從祖姑公以史記世次禮記祭法大傳之說質於上前益語塞
新字:公在邇英読史記至堯崩三年之喪畢因言堯舜同出黄帝舜且為堯喪三年者舜嘗臣堯故也侍読温益進言曰史記世次不足信若堯舜同出則舜娶堯女為娶従祖姑公以史記世次礼記祭法大伝之説質於上前益語塞
書き下し
公邇英に在りて史記を讀み、堯崩じ三年の喪畢わるに至る。因りて言う、堯舜は同じく黄帝より出づ。舜且つ堯の爲に喪すること三年なるは、舜嘗て堯に臣たりし故なりと。侍讀温益進みて言う、史記の世次は信ずるに足らず。若し堯舜同じく出づれば則ち舜の堯の女を娶るは從祖姑を娶ると爲ると。公史記の世次、禮記の祭法・大傳の説を以て上前に質す。益語塞がる。
現代語訳
公は邇英閣で『史記』を読み、「堯が崩じて三年の喪が終わった」というところに至った。そこで言った。「堯と舜は、ともに黄帝から出ている。舜がさらに堯のために三年の喪に服したのは、舜がかつて堯の臣であったからである」。侍読の温益が進み出て言った。「『史記』の世代の次第は信じるに足りません。もし堯と舜がともに出ているのなら、舜が堯の娘を娶ったのは、父方の大叔母を娶ったことになります」。公は『史記』の世代の次第と、『礼記』の祭法・大伝の説をもって、天子の前で問いただした。温益は言葉に詰まった。
解説
反論のほうが、一見鋭く聞こえます。もし堯と舜がともに出ているのなら、舜が堯の娘を娶ったのは、父方の大叔母を娶ったことになります。同じ祖先から出ているなら世代が合わない、という指摘です。答え方が、言い返しではありませんでした。『史記』の世代の次第と、『礼記』の祭法・大伝の説をもって、天子の前で問いただした。自分の意見ではなく、典拠を三つ並べて確かめさせている。温益は言葉に詰まった。
この章句が説くこと
公邇英に在りて史記を読み堯崩じ三年の喪畢わるに至る堯舜は同じく黄帝より出づ若し堯舜同じく出づれば則ち舜の堯の女を娶るは従祖姑を娶ると為る公史記の世次礼記の祭法大伝の説を以て上前に質す益語塞がる系譜反論
関連する章句
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史記 五帝本紀堯曰く、「鯀は命に負き族を毀る、不可なり」と。嶽曰く、「异なるかな、試みて用ゐる可からずんば已まんのみ」と。堯是に於て嶽に聴きて鯀を用ゐる。九載にして、功用成らず。堯曰く、「嗟、四嶽、朕位に在ること七十載、汝能く命を庸ゐ、朕が位を践まんか」と。嶽応へて曰く、「鄙徳にして帝位を忝くせん」と。堯曰く、「悉く貴戚及び疏遠隠匿なる者を挙げよ」と。衆皆堯に言ひて曰く、「矜なる有りて民間に在り、虞舜と曰ふ」と。堯曰く、「然り、朕之を聞けり。其れ何如」と。嶽曰く、「盲者の子なり。父は頑、母は嚚、弟は傲なるも、能く和するに孝を以てし、烝烝として治め、姦に至らしめず」と。堯曰く、「吾其れ試みんかな」と。是に於て堯之に二女を妻はせ、其の徳を二女に観る。舜二女を嬀汭に飭め下し、婦の礼の如くせしむ。
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『呻吟語』外篇・聖賢・書は盡くは信ず可からず二女の舜を試むるは、所謂る書は盡くは信ず可からざるなり。且く玄德升聞、四岳共に薦むるを說く莫かれ。聖人を以て聖人に遇へば、一見して人品定む可く、一語して心理相符す。又た何ぞ試むるを須ひん。即ち帝人を知るに艱ければ、還た一試を須ふとも、假若し舜二女を諧はすること能はずんば、將に之を若何せんとす。是れ堯は骨肉を輕視して、二女を以て市貨と為すなり。是れ有らんや。
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史記 五帝本紀黄帝軒轅の丘に居り、西陵の女を娶る。是を嫘祖と為す。嫘祖黄帝の正妃と為り、二子を生む。其の後皆天下を有つ。其の一を玄囂と曰ふ、是を青陽と為す。青陽降りて江水に居る。其の二を昌意と曰ふ、降りて若水に居る。昌意蜀山氏の女を娶る、昌僕と曰ふ。高陽を生む。高陽に聖徳有り。黄帝崩じ、橋山に葬る。其の孫、昌意の子高陽立つ。是を帝顓頊と為すなり。帝顓頊は、黄帝の孫にして昌意の子なり。静淵にして以て謀有り、疏通にして事を知る。材を養ひて以て地に任じ、時を載せて以て天に象り、鬼神に依りて以て義を制し、気を治めて以て教化し、誠を絜くして以て祭祀す。北は幽陵に至り、南は交阯に至り、西は流沙に至り、東は蟠木に至る。動静の物、大小の神、日月の照らす所、砥属せざる莫し。帝顓頊子を生む、窮蟬と曰ふ。顓頊崩じて、玄囂の孫高辛立つ。是を帝嚳と為す。帝嚳は、黄帝の曾孫なり。高辛の父を蟜極と曰ひ、蟜極の父を玄囂と曰ひ、玄囂の父を黄帝と曰ふ。玄囂と蟜極とより皆位に在るを得ず、高辛に至りて帝位に即く。高辛は顓頊に於て族子為り。高辛生まれながらにして神霊、自ら其の名を言ふ。普く施して物を利し、其の身に於てせず。聡にして以て遠きを知り、明にして以て微を察す。天の義に順ひ、民の急を知る。仁にして威あり、恵にして信あり、身を脩めて天下服す。地の財を取りて之を節用し、万民を撫教して之を利誨し、日月を暦して之を迎送し、鬼神を明らかにして之に敬事す。其の色郁郁、其の徳嶷嶷。其の動くや時、其の服するや士。帝嚳は中を溉執して天下に徧く、日月の照らす所、風雨の至る所、従服せざる莫し。帝嚳陳鋒氏の女を娶り、放勲を生む。娵訾氏の女を娶り、摯を生む。帝嚳崩じて、摯代はりて立つ。帝摯立ちて、善からず、崩ず。而して弟放勲立つ。是を帝堯と為す。
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