宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
獻可忍死謂温公以天下事尚可為當自愛後温公相天下再致元祐之盛獻可不及見矣天下誦其言而悲之至温公薨獻可之子由庚作輓詩云地下若逢中執法為言今日再昇平記其先人之言也
新字:献可忍死謂温公以天下事尚可為当自愛後温公相天下再致元祐之盛献可不及見矣天下誦其言而悲之至温公薨献可之子由庚作輓詩云地下若逢中執法為言今日再昇平記其先人之言也
書き下し
獻可死を忍びて溫公に謂うに、天下の事尚お爲す可し、當に自ら愛すべしと以てす。後に溫公天下に相となり、再び元祐の盛を致す。獻可は見るに及ばず。天下其の言を誦して之を悲しむ。溫公の薨ずるに至り、獻可の子由庚輓詩を作りて云う、地下にもし中執法に逢わば、爲に言え、今日再び昇平なりと。其の先人の言を記するなり。
現代語訳
呂誨は死を堪えて司馬光に、天下の事はまだやれる、どうか自らを大切に、と言い残した。後に司馬光は天下の宰相となり、ふたたび元祐の盛時を招いた。呂誨はそれを見るには至らなかった。天下はその言葉を口ずさんで悲しんだ。司馬光が薨じたとき、呂誨の子の由庚は挽歌を作って言った。「地下でもし中執法(御史中丞)にお会いになったら、伝えてください、いま再び泰平になりました、と」。父の言葉を書き留めたのである。
解説
十数年をまたいで、言葉が届く条です。呂誨が最後に言ったのは「まだやれる」でした。託された人は宰相になり、時代を戻します。**後に司馬光は天下の宰相となり、ふたたび元祐の盛時を招いた。呂誨はそれを見るには至らなかった。**そして、その司馬光が死んだとき、呂誨の子が挽歌を書きました。**地下でもし御史中丞にお会いになったら、伝えてください、いま再び泰平になりました、と。**死んだ人から死んだ人への伝言を、残された子が託しています。
この章句が説くこと
献可死を忍びて温公に謂うに天下の事尚お為す可し当に自ら愛すべし後に温公天下に相となり再び元祐の盛を致す献可は見るに及ばず地下にもし中執法に逢わば為に言え今日再び昇平なりと遺志実現
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