宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
建中靖國初上皇即位用韓忠彦為相清臣為門下侍郎忠彦與清臣有㜕故忠彦惟清臣言是聽清臣復用事范右丞純禮忠彦所薦清臣罷之劉安世呂希純皆忠彦所重清臣不使入朝外除安世帥定武希純帥髙陽張舜民忠彦薦為諌大夫清臣出之帥真定
新字:建中靖国初上皇即位用韓忠彦為相清臣為門下侍郎忠彦与清臣有㜕故忠彦惟清臣言是聴清臣復用事范右丞純礼忠彦所薦清臣罷之劉安世呂希純皆忠彦所重清臣不使入朝外除安世帥定武希純帥高陽張舜民忠彦薦為諌大夫清臣出之帥真定
書き下し
建中靖國の初め上皇即位す。韓忠彦を用いて相と爲し、清臣を門下侍郎と爲す。忠彦と清臣と婚有り。故に忠彦は惟だ清臣の言のみ是れ聽く。清臣復た事を用う。范右丞純禮は忠彦の薦むる所なるに清臣之を罷む。劉安世・呂希純は皆忠彦の重んずる所なるに、清臣朝に入らしめず、外に安世を除して定武に帥たらしめ、希純を髙陽に帥たらしむ。張舜民は忠彦薦めて諫大夫と爲さんとするに、清臣之を出して眞定に帥たらしむ。
現代語訳
建中靖国のはじめ、上皇が即位した。韓忠彦を用いて宰相とし、李清臣を門下侍郎とした。韓忠彦と李清臣とは縁組があった。だから韓忠彦は、李清臣の言うことだけを聴いた。李清臣はふたたび政を執った。范純礼は韓忠彦が推挙した者であったのに、李清臣はこれを罷めた。劉安世・呂希純はいずれも韓忠彦が重んじた者であったのに、李清臣は朝廷に入れさせず、外へ出して劉安世を定武の帥に、呂希純を高陽の帥にした。張舜民は韓忠彦が推挙して諫議大夫にしようとしたのに、李清臣はこれを出して真定の帥とした。
解説
宰相が、自分で推した人を次々に失っていく段です。原因が一行で書かれています。**韓忠彦と李清臣とは縁組があった。だから韓忠彦は、李清臣の言うことだけを聴いた。**縁があることと、その人の判断が正しいことは別です。ところが縁があると、他の声が入らなくなる。結果、自分が推挙した人が全員、自分の名で退けられていきました。誰も外からは、宰相の意思に見えます。
この章句が説くこと
韓忠彦を用いて相と為し清臣を門下侍郎と為す忠彦と清臣と婚有り故に忠彦は惟だ清臣の言のみ是れ聴く范右丞純礼は忠彦の薦むる所なるに清臣之を罷む劉安世呂希純は皆忠彦の重んずる所なるに清臣朝に入らしめず縁戚偏聴
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