宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
公詰朝當講前一夕正衣冠儼然如在上前命子弟侍坐先案講其説平時溫溫其語若不出諸口及當講開列古義仍參之時事及近代本朝典故以為戒勸其音琅琅然聞者興起講王制巡狩柴望之禮曰古之人多因燔柴望秩之説乃附㑹為封禪之事或以求神僊或以祈福或以吿太平成功皆秦漢之侈心非古者巡狩省方之義為人臣凡有勸人主封禪者皆佞臣也
新字:公詰朝当講前一夕正衣冠儼然如在上前命子弟侍坐先案講其説平時温温其語若不出諸口及当講開列古義仍参之時事及近代本朝典故以為戒勧其音琅琅然聞者興起講王制巡狩柴望之礼曰古之人多因燔柴望秩之説乃附会為封禅之事或以求神僊或以祈福或以吿太平成功皆秦漢之侈心非古者巡狩省方之義為人臣凡有勧人主封禅者皆佞臣也
書き下し
公詰朝に當に講ずべければ、前一夕、衣冠を正しくし、儼然として上前に在るが如くす。子弟に命じて侍坐せしめ、先ず案じて其の説を講ず。平時温温として、其の語諸を口に出でざるが若し。講に當たるに及びては、古義を開列し、仍お之に時事及び近代本朝の典故を參え、以て戒勸と爲す。其の音琅琅然たり。聞く者興起す。王制の巡狩柴望の禮を講じて曰く、古の人多く燔柴望秩の説に因り、乃ち附會して封禪の事と爲す。或いは以て神僊を求め、或いは以て福を祈り、或いは以て太平成功を吿ぐ。皆な秦漢の侈心にして、古者巡狩省方の義に非ず。人臣爲りて、凡そ人主に封禪を勸むる者有らば、皆な佞臣なり、と。
現代語訳
范祖禹は翌朝に講義があるとなると、前の晩に衣冠を正し、いかにも天子の御前にいるかのようにした。子弟に命じて侍らせて座らせ、まず机に向かってその説を講じてみた。ふだんは温和で、その言葉は口から出ないかのようであった。ところが講義になると、いにしえの意味を並べ、そこに時事や近代のわが朝の先例を交え、それを戒めと励ましとした。その声は朗々としていた。聞く者は奮い立った。『礼記』王制の、巡狩と柴望の礼を講義して言った。「いにしえの人は、多くは柴を焚き山川を望み祀るという説にかこつけて、こじつけて封禅の事とした。あるいは神仙を求めるため、あるいは福を祈るため、あるいは太平と成功を天に告げるためである。いずれも秦漢の奢った心であって、いにしえの巡狩して地方を視察するという意味ではない。臣下でありながら、およそ君主に封禅を勧める者があれば、みな佞臣である」。
解説
この章句が説くこと
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