宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
粉昆朋類者粉謂王巖叟面白如粉昆謂梁燾字貺之以貺為兄以兄為昆也欲以眇躬為甘心快意之地可為寒心者眇躬謂主上摯既懷無君之心有動摇不逞之意前巳甘心於蔡確輩今欲快意於主上是欲以主上為甘心快意之地有憂國之心者為可寒心也
新字:粉昆朋類者粉謂王巖叟面白如粉昆謂梁燾字貺之以貺為兄以兄為昆也欲以眇躬為甘心快意之地可為寒心者眇躬謂主上摯既懐無君之心有動摇不逞之意前巳甘心於蔡確輩今欲快意於主上是欲以主上為甘心快意之地有憂国之心者為可寒心也
書き下し
粉昆朋類とは、粉は王巖叟の面の白きこと粉の如きを謂う。昆は梁燾の字は貺之、貺を以て兄と爲し、兄を以て昆と爲すを謂うなり。眇躬を以て甘心快意の地と爲さんと欲す、寒心と爲す可しとは、眇躬は主上を謂う。摯既に無君の心を懷き、動搖不逞の意有り。前に已に蔡確の輩に甘心し、今主上に快意せんと欲す。是れ主上を以て甘心快意の地と爲さんと欲するなり。憂國の心有る者、寒心す可しと爲すなり。
現代語訳
「粉昆朋類」とは、「粉」は王巌叟の顔が白粉のように白いことを指す。「昆」は梁燾の字が貺之であり、「貺」を「兄」の意にとり、「兄」を「昆」と言い換えたものを指す、という。「『眇躬』を思うさま快哉を叫ぶための的にしようとしている、ぞっとすべきことだ」というのは、「眇躬」は主上を指す。劉摯はすでに君主を君主と思わぬ心を抱き、政権を揺るがす不逞の意があった。以前すでに蔡確らに思いを遂げ、いま主上に快哉を叫ぼうとしている。これは主上を、思いを遂げ快哉を叫ぶための的にしようとするものである。国を憂える心のある者は、ぞっとすべきである、というのである。
解説
解読の根拠が、この段でむき出しになります。**「粉」は王巌叟の顔が白粉のように白いことを指す。**顔色です。もう一つはさらに遠い。**「昆」は梁燾の字が貺之であり、「貺」を「兄」の意にとり、「兄」を「昆」と言い換えたもの。**二段の言い換えを経て名前にたどり着きます。この程度の連想で人が特定され、そこから「眇躬」=天子という読みが立ち、謀反が成立しました。**主上を、思いを遂げ快哉を叫ぶための的にしようとするもの。**
この章句が説くこと
粉は王巖叟の面の白きこと粉の如きを謂う昆は梁燾の字は貺之貺を以て兄と為し兄を以て昆と為すを謂うなり眇躬は主上を謂う是れ主上を以て甘心快意の地と為さんと欲するなり連想解読
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