宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
故叅政王堯臣子同老上言至和三年仁宗弗豫其父與文彦博劉沆及公同决大䇿乞立儲嗣㑹翊日疾瘳故緩其事人無復知者以其父堯臣所撰詔草上之上以問彦博彦博言與同老合上嘉公等勲績如此而終不言詔以公為司徒
新字:故叅政王堯臣子同老上言至和三年仁宗弗予其父与文彦博劉沆及公同決大策乞立儲嗣会翊日疾瘳故緩其事人無復知者以其父堯臣所撰詔草上之上以問彦博彦博言与同老合上嘉公等勲績如此而終不言詔以公為司徒
書き下し
故參政王堯臣の子同老上言す。至和三年、仁宗豫ならず。其の父、文彦博・劉沆及び公と同じく大策を決し、儲嗣を立てんことを乞う。會ミ翊日疾瘳ゆ。故に其の事を緩む。人復た知る者無し。其の父堯臣の撰する所の詔草を以て之を上る。上以て彦博に問う。彦博の言、同老と合う。上、公等の勲績此くの如くにして、而も終に言わざるを嘉す。詔して公を以て司徒と爲す。
現代語訳
亡くなった参政の王堯臣の子である同老が上言した。至和三年、仁宗が病んだとき、その父は文彦博・劉沆および富弼とともに大きな策を決し、後継ぎを立てることを願い出た。ちょうど翌日に病が癒えた。それでその件を先送りにした。人でこれを知る者はもういなかった。その父堯臣が起草した詔の草案を持って、これを差し出した。天子は文彦博に問うた。文彦博の言葉は同老の言うところと合った。天子は、富弼らの功績がこれほどでありながら、ついに口にしなかったことを嘉した。詔して富弼を司徒とした。
解説
危機のときに動いたのに、危機が去ったので誰も語らなかった一件です。**ちょうど翌日に病が癒えた。それでその件を先送りにした。人でこれを知る者はもういなかった。**未遂に終わった働きは、実績になりません。しかも語れば、天子の病を前提にしていたことになる。二十年以上たって、参加者の一人の遺した草稿が出てきて、はじめて裏が取れました。**天子は、富弼らの功績がこれほどでありながら、ついに口にしなかったことを嘉した。**評価されたのは働きではなく、黙っていたことのほうでした。
この章句が説くこと
其の父文彦博劉沆及び公と同じく大策を決し儲嗣を立てんことを乞う会ミ翊日疾瘳ゆ故に其の事を緩む人復た知る者無し其の父堯臣の撰する所の詔草を以て之を上る上公等の勲績此くの如くにして而も終に言わざるを嘉す功沈黙
関連する章句
-
論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
-
呂氏春秋・重言①人主の言は、慎まざる可からず。高宗は天子なり。位に即くや諒闇して、三年言わず。卿大夫恐懼して、之を患う。高宗乃ち言いて曰く、「余一人を以て四方を正す。余唯だ言の類からざるを恐るるなり。茲の故に言わず。」古の天子は、其の言を重んずること此くの若し。故に言に遺う者無し。
-
『宋名臣言行録』前集巻二・李沆沆相位に在り、賔客に接するに常に言寡なし。馬亮、沆と同年の生なり。又た其の弟維と善し。維に語りて曰く、外議大兄を以て無口匏と為すと。維、間に乘じて亮の語を達す。沆曰く、吾れ知らざるに非ざるなり。然れども今の朝士、殿に升りて事を言い、封を上りて論奏するを得。了に壅蔽無く、多く有司に下る。皆な之を見るなり。邦國の大事の若きは、北に強虜有り、西に戎遷有り。日旰に條議して以て備禦する所の䇿、詳究せざるに非ず。薦紳の中、李宗諤・趙安仁の如きは皆な時の英秀なり。之と談ずるも猶お吾が意を啟發する能わず。自餘の通籍の子、坐起拜揖すら尚お周章して措を失う。席に即けば必ず自ら功最を論じて以て寵奬を希う。此れ何の䇿有りて之と接語せんや。茍くも意を曲げて妄言せば、即ち世に所謂る籠罩なり。籠罩の事、僕病みて未だ能わず。我が為に馬君に謝せよと。沆嘗て言う、重位に居るも實に萬分に補う無し。唯だ中外の陳ぶる所の利害、一切之を報罷す。此れ少しく以て國に報ゆるのみと。朝廷の防制は纎悉備具す。或いは陳請する所に狥いて一事を施行せば、即ち傷る所多し。陸象先曰く、庸人之を擾すと。正に此の謂いなり。憸人は一時の進を茍くす。豈に民を念わんや。
-
『宋名臣言行録』前集巻二・王旦公の母弟、傲にして訓う可からず。一日、冬至に遇う。家廟を祠り、百壺を堂前に列ぬ。弟皆な之を擊ち破る。家人惶駭す。公忽ち外より入り、酒の流れて地に滿ち行く可からざるを見る。俱に一言も無く、但だ衣を攝りて步み入る。其の後、弟忽ち感悟して復た善を為す。終に亦た言わず。
-
『塩鉄論』雜論篇異なるかな吾が聞く所。周・秦は粲然として、皆な天下を有ちて南面す。然れども安危長久、世を殊にす。始め汝南の朱子伯、予が為に言う。此の時に當たりて、豪俊並び進み、四方輻湊す。賢良茂陵の唐生、文學魯國の萬生の倫、六十餘人、咸な闕庭に聚まり、六藝の風を舒べ、太平の原を論ず。智者は其の慮りを贊け、仁者は其の施しを明らかにし、勇者は其の斷を見し、辯者は其の詞を陳ぶ。誾誾焉たり、侃侃焉たり。未だ詳備なる能わずと雖も、斯れ略ぼ觀る可し。然れども雲霧に蔽われ、終に廢れて行われず。悲しいかな。公卿は武に任ずるの以て地を辟く可きを知りて、德を廣むるの以て遠きを附く可きを知らず。權利の以て用を廣む可きを知りて、稼穡の以て國を富ます可きを知らざるなり。近き者親附し、遠き者德に說ばば、則ち何をか為して成らず、何をか求めて得ざらん。斯の路に出でずして、利を畜え威を長ずるを務むるは、豈に謬らずや。中山の劉子雍は王道を言い、當世を矯め、諸を正に復す。務めは本に反るに在り。直にして僥らず、切にして〔一字を欠く〕ず。斌斌然たり。斯れ弘博の君子と謂う可し。九江の祝生は由・路の意を奮い、史魚の節を推し、憤懣を發し、公卿を刺譏す。介然として直くして撓まず、強禦を畏れずと謂う可し。桑大夫は當世に據り、時變に合わせ、道術を推し、權利を尚び、略を辟きて小辯す。正法に非ずと雖も、然れども巨儒宿學も恧然として、自ら解く能わず。博物通士と謂う可し。然れども卿相の位を攝りて、準繩を引かず、道を以て下を化せず、利末に放り、始古を師とせず。易に曰く、「焚くが如く棄つるが如し」と。位に非ざるに處り、道に非ざるを行い、果たして其の性を隕とし、以て厥の宗に及ぶ。車丞相は周・呂の列に即き、軸に當たり中に處るも、囊を括りて言わず、身を容れて去る。彼れなるかな、彼れなるかな。夫の群丞相・御史の若きは、正議して以て宰相を輔くる能わず、同類を成し、同行を長じ、意に阿り茍合して、以て其の上を說ばす。斗筲の人、道諛の徒、何ぞ算うるに足らんや。
-
『塩鉄論』大論篇大夫は撫然として內に慚じ、四據して言わず。此の時に當たりて、風に順い意を承くるの士は編めるが如く、口は張りて歙まず、舌は舉がりて下らず。闇然として重負を懷きて責めらるるを見る。大夫曰く、諾。膠車の倏かに雨に逢えり。請う、諸生と解かん。