宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
文富入相百官郊迎時兩制不得詣宰相居第百官不得間見公言隆之以虛禮不若開之以至誠乞罷郊迎而除謁禁以通天下之情
新字:文富入相百官郊迎時両制不得詣宰相居第百官不得間見公言隆之以虚礼不若開之以至誠乞罷郊迎而除謁禁以通天下之情
書き下し
文・富相に入る。百官郊迎す。時に兩制は宰相の居第に詣るを得ず、百官は間見するを得ず。公言う、之を隆くするに虚禮を以てするは、之を開くに至誠を以てするに若かず。郊迎を罷めて謁禁を除き、以て天下の情を通ぜしめんことを乞うと。
現代語訳
文彦博と富弼が宰相に入った。百官が郊外まで出迎えた。当時、両制の官は宰相の邸を訪ねることができず、百官は個別に面会することができなかった。范鎮は言った。「うやうやしくするのに虚礼をもってするのは、開くのにまことをもってするのに及びません。郊外での出迎えをやめ、面会の禁を解いて、天下の実情が通じるようにしていただきたい」。
解説
宰相を重んじる仕組みが、二つ揃っていました。全員で出迎えること、そして誰も個別に会えないこと。どちらも権威を高めます。范鎮は両方を同時に外すよう求めました。**郊外での出迎えをやめ、面会の禁を解いて。**片方だけなら、格を下げる話になります。両方を交換すれば、失うのは形式だけです。**うやうやしくするのに虚礼をもってするのは、開くのにまことをもってするのに及びません。**
この章句が説くこと
文富相に入る百官郊迎す時に両制は宰相の居第に詣るを得ず百官は間見するを得ず之を隆くするに虚礼を以てするは之を開くに至誠を以てするに若かず郊迎を罷めて謁禁を除き以て天下の情を通ぜしめん儀礼接触
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