宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
公作東齋記事曰君實子莫逆之交也惟議樂為不合往在館閣時決於同舍同舍不能決遂奕棊以決之君實不勝乃定其後二十年君實在西京為留䑓予往□之不持他書惟持所撰樂論八篇示之爭論者數夕莫能決又投壺以決之予不勝君實懽曰大樂還魂矣凡半月卒不得要領而歸豈所見然耶將戲謔耶抑遂其所執不欲改之邪俱不得而知也是必戲謔矣
新字:公作東斎記事曰君実子莫逆之交也惟議楽為不合往在館閣時決於同舎同舎不能決遂奕棊以決之君実不勝乃定其後二十年君実在西京為留䑓予往□之不持他書惟持所撰楽論八篇示之争論者数夕莫能決又投壺以決之予不勝君実懽曰大楽還魂矣凡半月卒不得要領而帰豈所見然耶将戯謔耶抑遂其所執不欲改之邪倶不得而知也是必戯謔矣
書き下し
公東齋記事を作りて曰く、君實は予が莫逆の交わりなり。惟だ樂を議するのみ合わず。往に館閣に在りし時、同舍に決す。同舍決する能わず。遂に棊を奕して以て之を決す。君實勝たず。乃ち之を定む。其の後二十年、君實西京に在りて留臺と爲る。予往きて之を□う。他の書を持たず、惟だ撰する所の樂論八篇を持して之に示す。爭論すること數夕、決する能わず。又た投壺して以て之を決す。予勝たず。君實歡びて曰く、大樂還魂せりと。凡そ半月、卒に要領を得ずして歸る。豈に見る所然るか。將た戲謔か。抑ミ其の執る所を遂げて改むるを欲せざるか。倶に得て知らざるなり。是れ必ず戲謔ならんと。
現代語訳
范鎮は『東斎記事』を書いて言った。「君実は私の莫逆の友である。ただ楽を議することだけが合わない。かつて館閣にいたとき、同僚に判定を求めた。同僚も決められなかった。そこで碁を打って決めることにした。君実が勝てなかった。それでこちらの説に定めた。その後二十年、君実は西京にいて留台となっていた。私は出向いてこれを〔一字を欠く〕った。ほかの書は持たず、ただ自分の書いた楽論八篇を持って見せた。論じ争うこと数晩、決着がつかない。またしても投壺で決めることにした。私が勝てなかった。君実は喜んで言った。『大楽が生き返った』。あわせて半月、ついに要領を得ずに帰った。見えているものが違うのだろうか。それとも冗談なのか。あるいは自分の主張を通したくて改めたくないのか。どちらとも分からない。これはきっと冗談であろう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮熙寧元豐の間、士大夫天下の賢者を論ずれば必ず曰く、君實・景仁と。其の道德風流は以て當世に師表たるに足り、其の議論の可否は以て天下を榮辱するに足る。二公蓋し相い得て歡ぶこと甚だし。皆自ら以て及ばずと爲す。曰く、吾と子と、生きては志を同じくし、死しては當に傳を同じくすべしと。而して天下の人も亦た敢えて之を優劣する者無し。二公既に約して更ミ相い傳を爲し、而して後に死する者は則ち其の墓を誌す。故に君實景仁の爲に傳を爲す。其の略に則ち曰く、呂獻可の先見、景仁の勇決は皆予の及ばざる所なりと。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮蓋し二公の用舍の大節は皆謀らずして同じ。仁宗の時に皇嗣を立つるを論じ、英宗の時に濮王の稱號を論じ、神宗の時に新法を論ずるが如き、其の言は一人より出づるが若く、相い先後すること左右の手の如し。故に君實嘗て人に謂いて曰く、吾と景仁とは兄弟なり。但だ姓の同じからざるのみと。然れども鐘律を論ずるに至りては、反復して相い非とし、終身相い一にする能わず。君子是を以て二公の苟同に非ざるを知る。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮初め仁宗李照に命じて大樂を改定せしめ、王朴の樂より三律を下す。皇祐中又た胡瑗等をして攷正せしむ。公と司馬光と皆上疏して律尺の法を論ず。又た光と往復して論難すること凡そ數萬言。自ら以て獨り心に得たりと爲す。元豐三年、神宗公と劉几に詔して樂を定めしむ。公曰く、樂を定むるは當に先ず律を正すべしと。上曰く、然りと。公律尺・龠・合・升・斗・豆・區・鬴・斛を作り、圖して之を上らんと欲す。又た眞黍を訪求して以て黄鍾を定めんとす。而して劉几は即ち李照の樂を用い、四清聲を加え用いて樂を奏す。成りて局を罷むるを詔す。既に致仕し、大府の銅を請いて樂を造る。年を逾えて乃ち成る。李照の樂に比して一律有奇下る。二聖延和殿に御し、執政を召して同じく觀る。詔を賜いて嘉奬し、樂を以て太常に下す。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮元祐の初め、首めて詔を以て公を起こして曰く、西伯善く二老を養い、來たりて漢室に歸す。詞を卑くして四臣入侍す。我が爲に強いて起て。或いは勤を憚る無かれ。天下は公と溫公と同に升るを望むと。公辭して曰く、六十三にして去るを求む。蓋し年を引くを以てなり。七十九にして復た來たらば、豈に禮に中ると云わんやと。卒に起たず。是より先、蔡京公に見えて曰く、上將に公を起こさんとすと。公色を正して曰く、鎮は新法を論じて合わざるを以て罪を得たり。一旦先帝天下を棄つるに、其れ因りて以て利と爲す可けんやと。故に公卒に元祐二聖の爲に一たびも起たず。
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『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮兼侍御史知雜事を除せらる。公言の從われざるを以て固辭して受けず。凡そ上に見えて面陳する者三たび。公泣き、上も亦た泣きて曰く、朕は卿の忠を知る。卿の言は是なり。當に更に二三年を俟つべしと。章凡そ十九上り、罪を待つこと百餘日、鬚髮爲に白し。朝廷奪う能わず。乃ち罷めて諫院を知す。集賢殿修撰に改め、流内銓を判じ、起居注を脩め、知制誥を除せらる。公言職を罷むと雖も、歳として儲貳の事を言わざる無し。上の春秋髙きを以て、毎に事に因りて之に及び、以て上心を感動せんことを冀う。知制誥と爲るに及び、正謝して殿に上り、面して之を論じて曰く、陛下の臣に許して今復た三年なり。願わくは早く大計を定めよと。明年、又た祫享に因りて賦を獻じて以て諷す。其の後、韓琦卒に策を定めて英宗を立つ。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・范祖禹朝廷既に温公・申公を相とす。詔して蜀公を起こす。蜀公書を以て公に問う。公當に起つべからずと謂う。蜀公書を得て大いに喜びて曰く、是れ吾が心なり。吾の爲さんと欲する所は、君實已に之を爲せり。何ぞ復た出づるを用いん、と。又た親舊に與うる書に云う、比ころ亦た出でんと欲す。而るに二即勸め止む。遂に已む、と。