宋名臣言行録 / 前集巻一・曹彬
王始生周嵗日父母以百玩之具羅于席觀其所取王左手提干戈右手取俎豆須臾取一印餘無所視後果為樞宻使相卒贈濟陽王配享帝廟公雖兼領將相不以爵禄自大造門者皆降廡而揖不名呼下吏吏之禀白者雖劇暑不冠不見伐江南西蜀二國諸將皆捆載而歸惟公但圖史衾簟而巳
新字:王始生周歳日父母以百玩之具羅于席観其所取王左手提干戈右手取俎豆須臾取一印余無所視後果為枢宻使相卒贈済陽王配享帝廟公雖兼領将相不以爵禄自大造門者皆降廡而揖不名呼下吏吏之禀白者雖劇暑不冠不見伐江南西蜀二国諸将皆捆載而帰惟公但図史衾簟而巳
書き下し
王始めて生まれて周歳の日、父母百玩の具を以て席に羅ね、其の取る所を觀る。王左手に干戈を提げ、右手に俎豆を取る。須臾にして一印を取り、餘は視る所無し。後果たして樞宻使相と為り、卒して濟陽王を贈られ、帝廟に配享せらる。公、將相を兼領すと雖も、爵禄を以て自ら大とせず。門に造る者は皆な廡に降りて揖す。下吏を名呼せず。吏の禀白する者は、劇暑と雖も冠せずんば見えず。江南・西蜀の二國を伐ち、諸將皆な捆載して歸る。惟だ公のみ但だ圖史衾簟のみ。
現代語訳
王が生まれて一年目の日、父母は百種のおもちゃを席に並べ、何を取るかを見た。王は左手に武具を取り、右手に祭器を取った。しばらくして印を一つ取り、他には目もくれなかった。後にはたして枢密使・宰相となり、死んで済陽王を贈られ、帝の廟に配享された。公は将と相を兼ねながら、爵禄をもって自分を偉いとはしなかった。門を訪れる者には、みな廊下まで降りて会釈した。下級の役人を名で呼び捨てにしなかった。役人が報告に来るときは、ひどい暑さの日でも冠をつけずには会わなかった。江南と西蜀の二国を伐ったとき、諸将はみな荷を縛って持ち帰った。公だけは書物と夜具だけであった。
解説
一歳の誕生日に武具と祭器と印を取った、という伝説から始まる条です。**将と相を兼ねながら、爵禄をもって自分を偉いとはしなかった。**訪ねてきた者には廊下まで降りて会釈し、下役を呼び捨てにせず、報告を受けるときは酷暑でも冠をつけた。相手が誰であっても自分の側の作法を崩さない、というやり方です。締めはまた荷物でした。他の将は荷を縛って持ち帰り、この人だけが書物と夜具だけだった。
この章句が説くこと
将相を兼領すと雖も爵禄を以て自ら大とせず吏の禀白する者は劇暑と雖も冠せずんば見えず諸将皆な捆載して帰る惟だ公のみ但だ図史衾簟のみ態度礼地位
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