宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
遼人夏人遣使入朝與吾使至彼中者彼必問公起居及為相遼人敕其邉吏曰中國相司馬矣慎毋生事開邉隙
新字:遼人夏人遣使入朝与吾使至彼中者彼必問公起居及為相遼人勅其邉吏曰中国相司馬矣慎毋生事開邉隙
書き下し
遼人・夏人使を遣わして入朝し、吾が使の彼中に至る者と、彼必ず公の起居を問う。相と爲るに及び、遼人其の邊吏に敕して曰く、中國司馬を相とせり。慎んで事を生じて邊隙を開く毋かれと。
現代語訳
遼の人も夏の人も、使いを遣わして入朝し、またこちらの使いがかの地に至ったとき、彼らは必ず司馬光の近況を尋ねた。宰相となるに及んで、遼の人はその国境の役人に命じて言った。「中国は司馬を宰相とした。慎んで事を起こし、国境の隙を開くな」。
解説
任命が一つ、そのまま国境の指示になった条です。**中国は司馬を宰相とした。慎んで事を起こし、国境の隙を開くな。**兵を動かした話ではありません。誰が上に立ったかを見て、向こうが自分から手を控えた。この人はもともと、西でも和を説き続けた人です。その一貫した姿勢が、相手側にも読まれていたということになります。近況を毎回尋ねていた、という前置きも効いています。
この章句が説くこと
遼人夏人使を遣わして入朝す彼必ず公の起居を問う中国司馬を相とせり慎んで事を生じて辺隙を開く毋かれ抑止外交
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