宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇轍
臣願陛下反覆臣言謹勿輕事改易若輕變九年已行之事擢用累嵗不用之人人懷私忿而以先帝為詞則大事去矣奏入不報再以劄子面論之上不恱李鄧從而媒糵之乃以本官出知頴州
新字:臣願陛下反覆臣言謹勿軽事改易若軽変九年已行之事擢用累歳不用之人人懐私忿而以先帝為詞則大事去矣奏入不報再以劄子面論之上不恱李鄧従而媒糵之乃以本官出知頴州
書き下し
臣願わくは陛下臣の言を反覆し、謹んで輕々しく改易を事とする勿かれ。若し輕々しく九年已に行うの事を變じ、累歳用いざるの人を擢用せば、人私忿を懷きて先帝を以て詞と爲さん。則ち大事去らん。奏入るも報ぜず。再び劄子を以て面ミ之を論ず。上悦ばず。李・鄧從いて之を媒糵す。乃ち本官を以て出でて頴州を知す。
現代語訳
「臣が願いますのは、陛下が臣の言葉を繰り返しお考えになり、慎んで軽々しく変更を事とされないことです。もし軽々しく九年すでに行ってきた事を変え、長年用いられなかった人を抜擢されるなら、人は私憤を抱きながら先帝を口実とするでしょう。そうなれば大事は去ります」。奏上は入ったが返答がなかった。あらためて書付をもって面と向かってこれを論じた。天子は喜ばなかった。李清臣と鄧潤甫はそこに乗じて言いがかりの種とした。そこで本官のまま出て潁州の知事となった。
解説
危ぶんだのは、政策の中身ではありませんでした。二つの動きが組み合わさることです。軽々しく九年すでに行ってきた事を変え、長年用いられなかった人を抜擢されるなら。変更と、不遇だった人の登用が同時に起きる。すると何が起きるか。人は私憤を抱きながら先帝を口実とするでしょう。個人の恨みが、大義の言葉をまとって動きます。まさにこの上疏の相手が、そういう二人でした。
この章句が説くこと
臣願わくは陛下臣の言を反覆し謹んで軽々しく改易を事とする勿かれ若し軽々しく九年已に行うの事を変じ累歳用いざるの人を擢用せば人私忿を懐きて先帝を以て詞と為さん則ち大事去らん李鄧従いて之を媒糵す乃ち本官を以て出でて頴州を知す改易私憤
関連する章句
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