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宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁

襄城民素不事蠶織鮮有植桑者公患之因民有罪而情輕者使植桑於家多寡隨其罪之輕重後按其所植榮茂與除罪自此人得其利公去民懷不忘至今號為著作林著作公宰縣時官也

新字:襄城民素不事蠶織鮮有植桑者公患之因民有罪而情軽者使植桑於家多寡随其罪之軽重後按其所植栄茂与除罪自此人得其利公去民懐不忘至今号為著作林著作公宰県時官也

書き下し

襄城の民素より蠶織を事とせず、桑を植うる者有ること鮮し。公之を患う。因りて民の罪有りて情の輕き者は桑を家に植えしむ。多寡は其の罪の輕重に隨う。後に其の植うる所の榮茂を按じて與に罪を除く。此れより人其の利を得たり。公去りて民懷いて忘れず。今に至りて號して著作林と爲す。公の縣に宰たりし時の官なり。

現代語訳

襄城の民はもともと養蚕と機織りをせず、桑を植える者もほとんどなかった。公はこれを憂えた。そこで民のうち罪があって事情の軽い者には、桑を家に植えさせた。本数の多少はその罪の軽重に応じさせた。後にその植えた桑の茂り具合を調べて、そのうえで罪を除いた。これより人はその利益を得た。公が去った後も、民は慕って忘れなかった。いまに至って「著作林」と呼んでいる。公がその県を治めていた時の官名である。

解説

罰を、そのまま産業に変えた条です。しかも量刑の考え方を保っています。**本数の多少はその罪の軽重に応じさせた。**そして終わり方が重要でした。**その植えた桑の茂り具合を調べて、そのうえで罪を除いた。**植えるだけでは終わらない。育てなければ罪が消えません。数年かかります。その間に土地に桑が育ち、養蚕が始まる。罰を受けた本人も、後には利を得る側に回りました。

この章句が説くこと

襄城の民素より蠶織を事とせず桑を植うる者有ること鮮し民の罪有りて情の軽き者は桑を家に植えしむ多寡は其の罪の軽重に随う後に其の植うる所の栄茂を按じて与に罪を除く刑罰産業

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