宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
英宗力辭宦官宫妾勢未便中外皆危之公復啓曰陛下屬之以大任而不肯當盖其沉逺詳重識慮有以過人非有他也猶豫不决招讒慝生變故且名未正則尚得以辭名體一定父子之分明則浮議亦不得復揺矣
新字:英宗力辞宦官宫妾勢未便中外皆危之公復啓曰陛下属之以大任而不肯当盖其沈遠詳重識慮有以過人非有他也猶予不決招讒慝生変故且名未正則尚得以辞名体一定父子之分明則浮議亦不得復揺矣
書き下し
英宗力めて辭す。宦官宮妾、勢い未だ便ならず。中外皆之を危ぶむ。公復た啓して曰く、陛下之に屬するに大任を以てして、肯えて當たらざるは、蓋し其の沉遠詳重にして、識慮人に過ぐる有り、他有るに非ざるなり。猶豫して決せざれば、讒慝を招き變故を生ず。且つ名未だ正しからざれば、則ち尚お以て辭するを得。名體一たび定まり、父子の分明らかなれば、則ち浮議も亦た復た搖がすを得ずと。
現代語訳
英宗は強く辞退した。宦官や宮女には都合が悪く、内外の者がみなこれを危ぶんだ。韓琦はふたたび申し上げた。「陛下がこの人に大任を託されたのに引き受けようとしないのは、思うにその人が沈着で遠くを見、細やかで重々しく、見識と思慮が人にまさっているからであって、ほかに理由はありません。ためらって決めなければ、讒言を招き変事が生じます。それに、名分がまだ正されないうちは、まだ辞退できてしまうのです。名と体がひとたび定まり、父子の分がはっきりすれば、浮ついた議論もそれを揺るがすことはできなくなります」。
解説
辞退が続くのを、人柄の問題にせず、形の問題に置き換えた条です。まず辞退の理由を良いほうに読んでみせます。**引き受けないのは、沈着で遠くを見、思慮が人にまさっているからで、ほかに理由はない。**相手を持ち上げてから本題です。**名分がまだ正されないうちは、まだ辞退できてしまう。**辞退できる余地があるかぎり、周りの思惑も動き続ける。だから先に名を定めよ、と言っています。**名と体がひとたび定まれば、浮ついた議論も揺るがせない。**
この章句が説くこと
猶予して決せざれば讒慝を招き変故を生ず名未だ正しからざれば則ち尚お以て辞するを得名体一たび定まり父子の分明らかなれば浮議も亦た復た揺がすを得ず名分辞退決着
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