宋名臣言行録 / 後集巻十四・劉恕
先公言荆公笑道原耽史而不窮經相見必戲之曰道原讀到漢八年未而道原厯詆荆公之學士子有談新經者道原怒形於色曰此人口出妖言面帶妖氣
新字:先公言荆公笑道原耽史而不窮経相見必戯之曰道原読到漢八年未而道原厯詆荆公之学士子有談新経者道原怒形於色曰此人口出妖言面帯妖気
書き下し
先公言う、荊公道原の史に耽りて經を窮めざるを笑い、相い見れば必ず之に戲れて曰く、道原、漢の八年に讀み到るや未だしや、と。而して道原は歷ミ荊公の學を詆る。士子に新經を談ずる者有り。道原怒り色に形わして曰く、此の人口に妖言を出だし、面に妖氣を帶ぶ、と。
現代語訳
亡き父が言った。王安石は劉恕が史書に耽って経書を究めないのを笑い、顔を合わせると必ずからかって言った。「道原、漢の八年まで読み進んだかね、まだかね」。一方、劉恕のほうは、王安石の学問をいちいち貶した。士人のなかに新しい経書解釈を語る者がいた。劉恕は怒りを顔に表して言った。「この男は口から怪しい言葉を出し、顔に怪しい気を帯びている」。
解説
険悪になる前の、応酬のかたちが残っています。王安石のからかい方は、悪意より軽口です。**道原、漢の八年まで読み進んだかね、まだかね。**史書を細かく読み進む相手を、進み具合でからかっています。返す劉恕のほうは容赦がありません。**この男は口から怪しい言葉を出し、顔に怪しい気を帯びている。**学問の対立が、そのまま人物の評へ移っています。前の条で絶交に至る二人の、その前の距離感です。
この章句が説くこと
荊公道原の史に耽りて経を窮めざるを笑う道原漢の八年に読み到るや未だしや而して道原は歴ミ荊公の学を詆る此の人口に妖言を出だし面に妖気を帯ぶ対立学問
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