宋名臣言行録 / 後集巻四・胡宿
上命公為青詞禱諸陵山川以求儲嗣公上疏仁宗謂漢文帝二年有司請蚤建太子是時文帝巳有元子猶對有司稱楚王吳王淮南王皆秉徳以陪朕何為不豫哉太祖皇帝感昭憲太后遺言捨魏王而立太宗其神武英㫁自開闢以來未之有也陛下必待聖嫡然後擬議非居安思危之道願察宗室之賢者立之則儲位定而人心安矣仁宗感悟遂罷祈禱
新字:上命公為青詞禱諸陵山川以求儲嗣公上疏仁宗謂漢文帝二年有司請蚤建太子是時文帝巳有元子猶対有司称楚王吳王淮南王皆秉徳以陪朕何為不予哉太祖皇帝感昭憲太后遺言捨魏王而立太宗其神武英㫁自開闢以来未之有也陛下必待聖嫡然後擬議非居安思危之道願察宗室之賢者立之則儲位定而人心安矣仁宗感悟遂罷祈禱
書き下し
上、公に命じて青詞を爲らしめ、諸陵山川に禱りて以て儲嗣を求む。公上疏す、仁宗、漢の文帝を謂うに、二年、有司蚤く太子を建てんことを請う。是の時文帝已に元子有り。猶お有司に對して稱す、楚王・吳王・淮南王は皆德を秉りて以て朕に陪す。何爲れぞ豫めせざらんやと。太祖皇帝は昭憲太后の遺言に感じ、魏王を捨てて太宗を立つ。其の神武英斷は開闢以來未だ之れ有らず。陛下必ず聖嫡を待ちて然る後に擬議するは、安きに居て危を思うの道に非ず。願わくは宗室の賢者を察して之を立てよ。則ち儲位定まりて人心安んぜんと。仁宗感悟し、遂に祈禱を罷む。
現代語訳
天子は胡宿に命じて祈願の文を作らせ、諸陵や山川に祈って後継ぎを求めさせた。胡宿は上疏した。「漢の文帝について申しますと、即位二年、担当の官が早く太子を立てるよう願い出ました。このとき文帝にはすでに長子がありました。それでも担当の官に向かって『楚王・呉王・淮南王はみな徳を保って朕を助けている。どうして前もって定めないことがあろうか』と述べています。太祖皇帝は昭憲太后の遺言に感じて、魏王を捨てて太宗を立てられました。その神のごとき武と英断は、天地開闢以来ないものです。陛下が必ず聖なる嫡子を待って、そのうえで議されるというのは、安らかなときに危うさを思う道ではありません。どうか宗室の賢者を見きわめてこれを立ててください。そうすれば後継の位が定まり、人の心が安らぎます」。仁宗は心を動かされ、ついに祈祷をやめた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・微子篇子路従いて後る。丈人の、杖を以て蓧を荷うに遇う。子路問いて曰く、「子、夫子を見たるか。」丈人曰く、「四体勤めず、五穀分たず。孰をか夫子と為す。」其の杖を植てて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿らしめ、鶏を殺し黍を為りて之を食わしめ、其の二子を見えしむ。明日、子路行きて以て告ぐ。子曰く、「隠者なり。」子路をして反りて之を見しむ。至れば則ち行けり。子路曰く、「仕えざるは義無し。長幼の節、廃す可からざるなり。君臣の義、之を如何ぞ其れ廃せんや。其の身を潔くせんと欲して、大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行うなり。道の行われざるは、已に之を知れり。」
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『韓非子』外儲說左上第三十二白馬は馬に非ざるを持するや、齊の稷下の辯者を服せり。白馬に乗りて關を過ぐれば、則ち白馬の賦を顧せらる。
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葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。