宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
石守道編三朝聖政錄將上一日求質於公公指數事其一太祖惑一宫鬟視朝晏羣臣有言太祖寤伺其酣寢刺殺之公曰此豈可為萬世法已溺之乃惡其溺而殺之彼何罪使其復有嬖將不勝其殺矣遂去此等數事守道服其清識
新字:石守道編三朝聖政録将上一日求質於公公指数事其一太祖惑一宮鬟視朝晏羣臣有言太祖寤伺其酣寝刺殺之公曰此豈可為万世法已溺之乃悪其溺而殺之彼何罪使其復有嬖将不勝其殺矣遂去此等数事守道服其清識
書き下し
石守道、三朝聖政錄を編み、將に上らんとす。一日質を公に求む。公數事を指す。其の一に、太祖一の宮鬟に惑い、朝を視ること晏し。羣臣言う者有り。太祖寤めて、其の酣寢を伺いて之を刺殺す。公曰く、此れ豈に萬世の法と爲す可けんや。已に溺る。乃ち其の溺を惡みて之を殺す。彼れ何の罪ぞ。其れをして復た嬖有らしめば、將に其の殺すに勝えざらんとすと。遂に此等の數事を去る。守道其の清識に服す。
現代語訳
石介が『三朝聖政録』を編み、上呈しようとした。ある日、韓琦に見てもらうことを求めた。韓琦はいくつかの箇所を指した。その一つ。太祖が一人の宮女に心を奪われ、朝政に出るのが遅くなった。臣下に諫める者があった。太祖は目が覚め、その女が熟睡するのをうかがって刺し殺した。韓琦は言った。「これがどうして万世の法とできようか。すでに自分が溺れたのだ。そのうえで自分の溺れを憎んで、相手を殺した。あの女に何の罪があるのか。もしこの先また寵愛する者ができたら、殺しても殺しきれなくなるだろう」。ついにこの類のいくつかを削った。石介はその澄んだ見識に服した。
解説
先帝の行いを、模範として残すかどうかを判定した条です。太祖は諫めを容れて自分を正した、と読むこともできます。韓琦はそこを取りませんでした。すでに自分が溺れたのだ。そのうえで自分の溺れを憎んで、相手を殺した。あの女に何の罪があるのか。責任の在り処を戻しただけです。そして規範として使ったときに何が起きるかを示します。もしこの先また寵愛する者ができたら、殺しても殺しきれなくなるだろう。手本として通用するかどうかで、記録を選び直しました。
この章句が説くこと
石守道三朝聖政録を編み将に上らんとす此れ豈に万世の法と為す可けんや已に溺る乃ち其の溺を悪みて之を殺す彼れ何の罪ぞ其れをして復た嬖有らしめば将に其の殺すに勝えざらんとす記録責任
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