宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
公懇辭機務章二十上以使相判河陽復五上章辭使相且言真宗以前不輕以此授人仁宗即位之初執政欲自為地故開此例終仁宗之位宰相罷者皆除使相至不稱職者亦然今陛下初即位願立法自臣始不從
新字:公懇辞機務章二十上以使相判河陽復五上章辞使相且言真宗以前不軽以此授人仁宗即位之初執政欲自為地故開此例終仁宗之位宰相罷者皆除使相至不称職者亦然今陛下初即位願立法自臣始不従
書き下し
公懇ろに機務を辭す。章二十上る。使相を以て河陽を判す。復た五たび章を上りて使相を辭す。且つ言う、眞宗以前は輕がるしく此を以て人に授けず。仁宗即位の初め、執政自ら地を爲さんと欲す。故に此の例を開く。仁宗の位を終うるまで、宰相の罷むる者は皆使相を除せらる。職に稱わざる者に至るまで亦た然り。今陛下初めて即位す。願わくは法を立つること臣より始めよと。從われず。
現代語訳
富弼は懇ろに政務を辞退した。上奏は二十度に及んだ。使相の資格をもって河陽の長官となった。さらに五度上奏して使相を辞退した。そのうえで言った。「真宗以前は、軽々しくこれを人に授けませんでした。仁宗即位のはじめ、執政が自分の居場所を作ろうとして、この先例を開いたのです。仁宗の御代の終わりまで、宰相を辞めた者はみな使相に任じられ、職にふさわしくない者に至るまでそうでした。いま陛下は即位されたばかりです。願わくは、法を立てることを臣から始めてください」。聞き入れられなかった。
解説
自分に与えられた名誉職を返上して、そのついでに制度を直そうとした条です。悪くなった経緯を、先例の起点まで遡って説明しています。仁宗即位のはじめ、執政が自分の居場所を作ろうとして、この先例を開いた。そして、その先例がどこまで広がったかを示しました。職にふさわしくない者に至るまでそうでした。改めるには誰かが最初の一人になる必要があります。そこを自分で引き受けました。願わくは、法を立てることを臣から始めてください。結果は、そっけない三字です。聞き入れられなかった。
この章句が説くこと
真宗以前は軽がるしく此を以て人に授けず仁宗即位の初め執政自ら地を為さんと欲す故に此の例を開く職に称わざる者に至るまで亦た然り願わくは法を立つること臣より始めよ先例待遇
関連する章句
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『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
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『政談』公儀御身上の制度の事抑々諸矦には其土地を全く賜はるに、土産を上る道理は如何のことそと云ふに、五穀と人民とは何れの国にても皆ある者なる故、其土地を下し置るゝ上は年貢米と夫役とは其君の所格となる、偖其外の諸物は土地に随ひて各別にすくれたる所ありて諸国一様にあらざる故、土産の貢の上一人に上ること是れ少しも無理なることにあらす、道理の当然古今の定法なり、然れは当時の諸大名は古の諸矦なれは土産の貢を奉るべきこと例と云ひ道理と云ひ献せすして叶はさることなるを、当時其沙汰なきことは室町家の末に至り天下乱れて武家国郡を押領し、年久しき郡県の作法なる租庸調をだにも奉らねは、增て土産の貢にも及はす、其後太閤秀吉公天下を一統まし〳〵けれとも、文盲にして其仔細を知り玉はす、御当家になりては大坂御陣の翌年東照宮御他界なる故、此制度定め玉はぬを例として大名は貢を出さぬものと心得居ること大なるひがことなり、
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『玉勝間』四の巻 法親王のはじめ続世継に、覚行法親王の御事を申していわく、わらわにても親王の御名え給わねども、親王の宣旨こうぶり給えり。後二条のおとど、出家の後は、例無きよし侍りけれども、白川院、内親王と云う事も有れば、法親王もなどか無からんとて、始めて法師の後、親王と聞こえ給いしなり。かくて後ぞ、打ち続きいづくにも、出家ののちの親王きこえ給うめる、と有り。法内親王の御例は、今の世までも、いまだおわしまさず。
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『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
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『政談』奉公人年を僞る事当時十四五歳になるものゝいまた小身にて御奉公もせぬうちに死したるか、兼ねて年を偽りて十七満になりたるは其の人の伯父のあるをは差置とていとこちがいなどの二三歳なるを、他苗を搆はす年をます五六歳も偽りて養子に願へば、願ひの通り仰付けらるゝ事なり、然れは其の先祖の御奉公故に跡を立て玉ふにてはなくて、其の小身にて未た御奉公もせぬ十四五歳になるものゝ跡目を立て玉ふやうなり、是れ皆法の立やう悪しき故跡目を立てらるゝ本意を忘れて例にかゝはる故なり、大名には家相続とて年にもかゝはらさる例あれとも、旗本を支配するともから此の例を引かぬは、ひろく例をも考へす、唯我か扱ひ習ひたる仕くせしかけにて申し立つれは何の詮議も無きこと、是亦当時は何もかも願ひと云事はやる故なり、且又次男三男を他苗にても養子にやりたきと人々のぞみをかけて其支配の頭に頼む故、頼れたるか黙しかたくて斯の如く仕なすもあるへし、此等は願ひに搆はす其の支配同苗の親類はなきかと吟味して申し立つへきこと也、畢竟文盲なれは同苗にても苗他にても跡さへ立ては同しこと也と心得る故もあるへし、
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『重職心得箇条』第四条先格古例に二つあり、家法の例格あり、仕癖の例格あり、先づ今此の事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付け、時宜を考へて然る後例格を検し、今日に引き合わすべし。仕癖の例格にても、其の通りにて能(よ)き事は其の通りにし、時宜に叶はざる事は拘泥すべからず。自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病(つうへい)なるべし。

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