宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
志完云聖人之道備於六經六經千門萬户何從而入大要在中庸一篇其要在慎獨而巳俱於十二時中看自家一念從何處起即㸃檢不放過便見工力
新字:志完云聖人之道備於六経六経千門万戸何従而入大要在中庸一篇其要在慎独而巳倶於十二時中看自家一念従何処起即点検不放過便見工力
書き下し
志完云う、聖人の道は六經に備わる。六經は千門萬戸なり。何從りて入らん。大要は中庸一篇に在り。其の要は慎獨に在るのみ。倶に十二時中に於いて、自家の一念何處從り起こるかを看て、即ち點檢して放過せざれば、便ち工力を見ん、と。
現代語訳
鄒浩は言った。「聖人の道は六経に備わっている。だが六経は千の門、万の戸口のようなものだ。どこから入ればよいのか。大筋は『中庸』一篇にある。その要は、慎独(独りをつつしむ)にあるだけだ。日々の十二の時のなかで、自分の一つの思いがどこから起こってくるかを見て、そのたびに点検して見逃さないようにすれば、そこで自分の力の程が見えてくる」。
解説
膨大な古典を前にして、入口を一つに絞った問答です。まず困りごとを認めています。六経は千の門、万の戸口のようなものだ。どこから入ればよいのか。そこから範囲を二段で狭めました。中庸一篇、そして慎独の二字。さらに、慎独という語も抽象で終わらせません。自分の一つの思いがどこから起こってくるかを見て、そのたびに点検して見逃さないようにすれば。行いではなく、思いの出どころを見る。しかも一日中です。
この章句が説くこと
聖人の道は六経に備わる六経は千門万戸なり何従りて入らん大要は中庸一篇に在り其の要は慎独に在るのみ十二時中に於いて自家の一念何処従り起こるかを看る即ち点検して放過せざれば便ち工力を見ん入口慎独
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