宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳無巳
雖然有一於此幸公之他日成功謝事幅巾東歸師道當御欵□乘下澤候公於上東門外尚未晚也
新字:雖然有一於此幸公之他日成功謝事幅巾東帰師道当御欵□乗下沢候公於上東門外尚未晩也
書き下し
然りと雖も一を此に有せん。幸わくは公の他日功を成し事を謝し、幅巾して東歸せば、師道當に欵□に御し下澤に乘り、公を上東門の外に候つべし。尚お未だ晩からざるなり。
現代語訳
そうは申しますが、一つだけ申し上げておきたいことがあります。願わくは章公が後日、功を成し遂げて職を退き、頭巾姿で東へ帰られるときには、この師道はゆっくりと□〔一字を欠く〕馬を御し、粗末な車に乗って、上東門の外であなたをお待ちいたしましょう。それでもなお、遅くはございません。
解説
断りの手紙が、この一段で閉じます。そして朱熹の編んだ本体も、ここで終わります。拒んだままにしていません。会う日を先に置きました。**章公が後日、功を成し遂げて職を退き、頭巾姿で東へ帰られるときには。**位を離れた人になら、会える。しかも自分の側も飾りません。**粗末な車に乗って、上東門の外であなたをお待ちいたしましょう。**そして最後の一行が、断りを約束に変えています。**それでもなお、遅くはございません。**
この章句が説くこと
然りと雖も一を此に有せん幸わくは公の他日功を成し事を謝し幅巾して東帰せば師道当に下沢に乗り公を上東門の外に候つべし尚お未だ晩からざるなり断り約束
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻十四・陳無巳書を辱くし、喻すに章公年德を降屈して禮を以て招かるるを以てす。不佞何を以て此を得んや。豈に侯嘗て之を欺けるか。公卿の士に下らざること尚し。乃ち特に今に見われて、而も其の身に親しむ。幸い孰れか大ならん。愚は以て士に齒するに足らずと雖も、猶お當に侯の後に從い、下風に順いて以て公の名を成すべし。
-
『宋名臣言行録』後集巻十四・陳無巳然れども先王の制、士は贄を傳えて臣と爲らざれば、則ち王公に見えず。夫れ相い見ゆるは禮を成す所以なるも、而も其の弊は必ず自ら鬻ぐに至る。故に先王其の始めを謹しみて之が防を爲す。而して士爲る者世ミ焉を守る。師道の公に於けるは、前には貴賤の嫌有り、後には平生の舊無し。公見る可しと雖も、禮去る可けんや。且つ公の招かるるは、蓋し能く區區の禮を守るを以てなり。若し法義を昧冒し、命を聞きて門に走らば、則ち其の招かるる所以を失わん。公又た何をか取らんや。
-
『宋名臣言行録』後集巻十四・陳無巳傅公欽之初め吏部侍郎爲り。師道の京師に遊ぶを聞き、與に相い見えんと欲す。先ず以て秦觀に問う。觀曰く、師道は刺字を持し理色を俛して公卿の門に伺候する者に非ず。殆ど致し難からん、と。公曰く、望む所に非ざるなり。吾將に之に見えんとす。其の吾に見えざるを懼るるなり。子能く陳君に介せんか、と。公其の貧甚だしきを知り、因りて金を懷にして之に餽らんとす。其の貌を覩、其の論議を聽くに及び、竟に敢えて以て口に出ださず。
-
『宋名臣言行録』後集巻十四・陳無巳陳履常都下に居ること年を逾ゆるも、未だ嘗て一たびも貴人の門に至らず。章子厚一たび見んと欲するも、終に得可からず。中丞傅欽之・侍郎孫莘老之を薦む。軾も亦た名を其の間に掛く。會ミ朝廷に履常を知る者多し。故に一官を得たり。
-
『宋名臣言行録』前集巻十・陳摶後、復た再び摶を召す。辭して曰く、九重の仙詔、丹鳯をして啣み來らしむること休めよ。一片の野心、巳に白雲に留め住めらると。
-
『宋名臣言行録』後集巻十三・鄒浩承君告を取りて之に見ゆ。志完に問いて曰く、平生君と相い許す所の者は何如。今君は何の官と爲るか、と。志完愧謝して曰く、上は群臣に遇うに、未だ嘗て辭色を假さず。獨り浩に於いてのみ相い喜ぶ者の若し。今天下の事故、言うに勝えず。意うに、上をして益ミ相い信ぜしめて而る後に言わば、益有るを貴ばんと欲すればなり、と。承君之を許す。