宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉摯
公教子孫先行實後文藝每曰士當以器識為先一號為文人無足觀矣
新字:公教子孫先行実後文芸毎曰士当以器識為先一号為文人無足観矣
書き下し
公子孫を教うるに、行實を先にし文藝を後にす。每に曰く、士は當に器識を以て先と爲すべし。一たび文人と號すれば、觀るに足る無し、と。
現代語訳
劉摯は子孫を教えるのに、実際の行いを先にし、文章の技を後にした。いつもこう言っていた。「士たる者は、器量と識見を第一とすべきである。ひとたび文人と呼ばれるようになったら、もう見るべきものはない」。
解説
門人の劉倣が書いた行実からの一条で、この人の巻を閉じます。順序をはっきり付けました。**実際の行いを先にし、文章の技を後にした。**そのうえで、なぜ後にするのかを一句で言い切ります。**ひとたび文人と呼ばれるようになったら、もう見るべきものはない。**文章がうまいと評判が立った時点で、人は評判のほうを守りはじめる。器量と識見は、そこで伸びなくなります。文才を否定したのではなく、それを看板にすることを戒めた言葉です。
この章句が説くこと
公子孫を教うるに行実を先にし文芸を後にす士は当に器識を以て先と為すべし一たび文人と号すれば観るに足る無し器識看板順序
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