宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳襄
公既孤且多病常以先君侍郎之言為念居間益自策勵上事繼母以孝下教弟妹以義方求士之賢者親而友之得其鄉士陳烈周希孟鄭穆為之友四人者氣古行髙磨礲鐫切相期以天下之重為已任
新字:公既孤且多病常以先君侍郎之言為念居間益自策勵上事継母以孝下教弟妹以義方求士之賢者親而友之得其鄉士陳烈周希孟鄭穆為之友四人者気古行高磨礲鐫切相期以天下之重為已任
書き下し
公既に孤にして且つ多病なり。常に先君侍郎の言を以て念と爲す。間に居りて益ミ自ら策勵す。上は繼母に事うるに孝を以てし、下は弟妹を教うるに義方を以てす。士の賢なる者を求めて親しみて之を友とす。其の鄉士陳烈・周希孟・鄭穆を得て之が友と爲す。四人なる者は氣古く行い高く、磨礲鐫切して、相い期するに天下の重きを以て己が任と爲す。
現代語訳
陳襄は早くに父を失い、そのうえ病が多かった。いつも亡き父である侍郎の言葉を心に留めていた。人と離れているあいだも、いよいよ自分を励まし鞭打った。上は継母に仕えるのに孝をもってし、下は弟妹を教えるのに正しい道をもってした。士のなかで賢い者を求め、親しんでこれを友とした。同郷の士である陳烈・周希孟・鄭穆を得て友とした。この四人は気風が古風で行いが高く、互いに磨き合い刻み合って、天下の重みを自分の任務とすることを、共に期した。
解説
後に「四先生」と呼ばれる集まりの、始まりの部分です。まず個人の条件が書かれます。**早くに父を失い、そのうえ病が多かった。**恵まれてはいません。そこで自分から探しました。**士のなかで賢い者を求め、親しんでこれを友とした。**そして四人がしたことが一語で示されます。**互いに磨き合い刻み合って。**削り合う相手を自分で選んだ、ということです。学派でも師弟でもなく、同年配の四人から始まっています。
この章句が説くこと
公既に孤にして且つ多病なり常に先君侍郎の言を以て念と為す士の賢なる者を求めて親しみて之を友とす四人なる者は気古く行い高く磨礲鐫切す相い期するに天下の重きを以て己が任と為す友人切磋
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