宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
熙寧庚戌冬公拜相百官皆賀公以未謝皆不見之獨與余坐西廡之小閤忽顰蹙乆之取筆書牕曰霜筠雪竹鍾山寺投老歸歟寄此生放筆揖余入後再罷相歸金陵築第於白門外元豐癸丑春余謁公於第公遽邀余同遊鍾山憇法雲寺偶坐於僧房余因為公道平昔之事及誦書牎之詩公撫然曰有是乎㣲笑而已
新字:熙寧庚戌冬公拝相百官皆賀公以未謝皆不見之独与余坐西廡之小閤忽顰蹙乆之取筆書牕曰霜筠雪竹鍾山寺投老帰歟寄此生放筆揖余入後再罷相帰金陵築第於白門外元豊癸丑春余謁公於第公遽邀余同遊鍾山憇法雲寺偶坐於僧房余因為公道平昔之事及誦書牎之詩公撫然曰有是乎㣲笑而已
書き下し
熙寧庚戌の冬、公相を拜す。百官皆賀す。公未だ謝せざるを以て皆之を見ず。獨り余と西廡の小閤に坐す。忽ち顰蹙すること久しく、筆を取りて牕に書して曰く、霜筠雪竹鍾山の寺、老を投じて歸らんか此の生を寄せんと。筆を放ちて余に揖して入る。後に再び相を罷めて金陵に歸り、第を白門の外に築く。元豐癸丑の春、余公を第に謁す。公遽かに余を邀えて同に鍾山に遊び、法雲寺に憇う。偶ま僧房に坐す。余因りて公の爲に平昔の事を道い、及び牕に書せし詩を誦す。公撫然として曰く、是れ有りしかと。微笑するのみ。
現代語訳
熙寧庚戌の冬、王安石は宰相を拝命した。百官はみな祝いに来た。王安石はまだ礼を述べていないことを理由に、誰にも会わなかった。ただ私とだけ西の廊の小部屋に座った。急に眉をひそめることが長く続き、筆を取って窓に書きつけて言った。「霜の竹、雪の竹、鍾山の寺。老いを投げ出して帰ろうか、この一生をそこに寄せよう」。筆を置いて私に会釈して奥へ入った。後に二度目の宰相を辞めて金陵に帰り、邸を白門の外に築いた。元豊癸丑の春、私は邸に王安石を訪ねた。王安石は急に私を誘ってともに鍾山に遊び、法雲寺で憩った。たまたま僧房に座った。私はそこで王安石のために昔のことを語り、あの窓に書いた詩を誦した。王安石は寂しげに言った。「そんなことがあったか」。微笑するだけであった。
解説
宰相になった日の記録です。祝いに来た百官を全員断って、一人だけを部屋に入れました。そして黙り込んだ末に、窓に書いたのが隠棲の詩でした。**老いを投げ出して帰ろうか、この一生をそこに寄せよう。**十三年後、同じ人と、その詩に詠んだ鍾山にいます。読み上げてみせると、返ってきたのは一行でした。**そんなことがあったか。**覚えていない。書いた本人だけが忘れている、というところに、この巻の重さがあります。
この章句が説くこと
公相を拝す百官皆賀す公未だ謝せざるを以て皆之を見ず霜筠雪竹鍾山の寺老を投じて帰らんか此の生を寄せん余因りて公の為に平昔の事を道い及び牕に書せし詩を誦す公撫然として曰く是れ有りしかと微笑するのみ就任本心
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公晚年、鍾山の書院に於いて多く福建子の三字を寫す。蓋し呂惠卿を悔恨するなり。惠卿の陷るる所と爲るを恨み、惠卿の誤らしむる所と爲るを悔ゆるなり。毎に山行すれば多く恍惚として獨言すること狂者の若し。公既に病む。和甫邸吏の狀を以て公に示す。適ま司馬公相と作るを報ず。公悵然として曰く、司馬十二相と作れりと。公薨ず。溫公病中に在りて之を聞き、呂申公に簡して曰く、介甫に他無し。但だ執拗なるのみ。贈恤の典は宜しく厚くすべしと。溫公の盛德此くの如し。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公遂に力めて去るを求む。已にして公卒に位を去り、惠卿を薦めて己に代う。命の下るの日、京師大風雨。土席を翳うこと寸を逾ゆ。俠又た上書して言う、安石は本と惠卿の誤らしむる所と爲りて此に至る。今復た扳援して以て前非を遂げ、復た宗社の爲に計らずと。
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