宋名臣言行録 / 後集巻四・劉敞
秦州與羌人争古渭州公奏請棄之謂假令新城足以蔽秦州長無羗胡之虞雖傾國守之可也不然地形便利賊能乘之以擾邉雖傾國争之可也今何所重輕而縻國財困民力損士卒之命以貪咫尺之地時議者不同竟留之秦州坐是應接多事財用匱竭矣
新字:秦州与羌人争古渭州公奏請棄之謂仮令新城足以蔽秦州長無羗胡之虞雖傾国守之可也不然地形便利賊能乗之以擾邉雖傾国争之可也今何所重軽而縻国財困民力損士卒之命以貪咫尺之地時議者不同竟留之秦州坐是応接多事財用匱竭矣
書き下し
秦州羌人と古渭州を爭う。公奏して之を棄てんことを請いて謂う、假令い新城の以て秦州を蔽い長く羌胡の虞い無きに足らば、國を傾けて之を守るも可なり。然らずして地形便利、賊能く之に乘じて以て邊を擾さば、國を傾けて之を爭うも可なり。今何の輕重する所ありて國財を縻し民力を困しめ士卒の命を損じて以て咫尺の地を貪るやと。時に議者同じからず、竟に之を留む。秦州是に坐して應接に事多く、財用匱竭す。
現代語訳
秦州が羌人と古渭州を争った。劉敞は上奏してこれを放棄するよう願い、こう述べた。「仮にその新しい城が秦州を守り、長く羌や胡の心配がなくなるに足るのであれば、国を傾けてでも守ってよい。そうでなくて、地形が有利で敵がそれに乗じて国境を騒がせられるのであれば、国を傾けてでも争ってよい。いま何の軽重があって、国庫を費やし民の力を苦しめ、兵士の命を損なってまで、わずかな土地を貪るのですか」。当時、論ずる者の意見は一致せず、結局これを留め置いた。秦州はそのために応接に手間がかかり、財源は尽き果てた。
解説
取るか捨てるかを、二つの条件で挟んでいます。**その新しい城が秦州を守り、長く心配がなくなるに足るのであれば、国を傾けてでも守ってよい。****敵がそれに乗じて国境を騒がせられるのであれば、国を傾けてでも争ってよい。**どちらかに当てはまるなら全力を出せ、と先に言っている。そのうえで、この土地はどちらでもないと示しました。**いま何の軽重があって、わずかな土地を貪るのですか。**捨てるか取るかではなく、どちらの理由もないと言っています。
この章句が説くこと
仮令い新城の以て秦州を蔽い長く羌胡の虞い無きに足らば国を傾けて之を守るも可なり賊能く之に乗じて以て辺を擾さば国を傾けて之を争うも可なり今何の軽重する所ありて国財を縻し民力を困しめ以て咫尺の地を貪るや領土判断
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