宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
先是文及甫持䘮在河陽邢恕在懷州及甫以劉丞相摯任中司日嘗彈罷其左司郎啣怨不巳以書抵恕曰及改月遂除畢禫祭當外補入朝之計未可必當塗猜忌於鷹揚者益深其徒實繁司馬昭之心路人所知也又濟之以粉昆朋類錯立必欲以眇躬為甘心快意之地
新字:先是文及甫持喪在河陽邢恕在懐州及甫以劉丞相摯任中司日嘗弾罷其左司郎啣怨不巳以書抵恕曰及改月遂除畢禫祭当外補入朝之計未可必当塗猜忌於鷹揚者益深其徒実繁司馬昭之心路人所知也又済之以粉昆朋類錯立必欲以眇躬為甘心快意之地
書き下し
是より先、文及甫喪を持して河陽に在り。邢恕懷州に在り。及甫、劉丞相摯が中司に任ずるの日、嘗て彈じて其の左司郎を罷めしむるを以て、怨みを銜みて已まず。書を以て恕に抵りて曰く、月を改むるに及び、遂に禫祭を除え畢れば、當に外補すべし。入朝の計は未だ必とす可からず。當塗の鷹揚なる者を猜忌すること益ミ深く、其の徒實に繁し。司馬昭の心は路人の知る所なり。又た之を濟すに粉昆を以てし、朋類錯り立つ。必ず眇躬を以て甘心快意の地と爲さんと欲す、と。
現代語訳
これより先、文及甫は喪に服して河陽にいた。邢恕は懐州にいた。文及甫は、宰相の劉摯が御史中丞であったころ、自分を弾劾して左司郎中の職を罷めさせたことを恨み、それが収まらなかった。手紙を邢恕に送って言った。「月が改まり、喪明けの祭りを終えれば、地方に出されることになろう。朝廷に入る見込みは、まだ確かとは言えない。権勢の座にある者が『鷹揚』の人を猜疑することはいよいよ深く、その一味は実に多い。『司馬昭の心は道行く人でも知っている』というやつだ。そのうえ『粉昆』がこれに手を貸し、仲間が入り乱れて立ち並んでいる。何としても『眇躬』を、思うさま快哉を叫ぶための的にしようとしている」。
解説
この長い一条は、私信一通から始まります。書いた人の動機は、はっきり記されています。**自分を弾劾して左司郎中の職を罷めさせたことを恨み、それが収まらなかった。**そして文面が、そのまま隠語で埋まっていました。鷹揚、当塗、粉昆、眇躬。誰のことか書いていません。**『司馬昭の心は道行く人でも知っている』というやつだ。**私信だから、通じる相手にだけ通じればよい。この曖昧さが、後に別の人の手で一語ずつ名前に置き換えられます。
この章句が説くこと
文及甫喪を持して河陽に在り邢恕懐州に在り劉丞相摯が中司に任ずるの日嘗て弾じて其の左司郎を罷めしむるを以て怨みを銜みて已まず当塗の鷹揚なる者を猜忌すること益ミ深く其の徒実に繁し司馬昭の心は路人の知る所なり私信隠語
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世及甫の鷹揚と稱するは、其の父潞公を謂うなり。當塗なる者は劉摯を謂うなり。其の徒實に繁しとは、梁燾・王巖叟・劉安世・孫升・韓川の類を謂うなり。司馬昭の心は路人の知る所なりとは、摯が顧命の宰相蔡確を竄斥せしに緣り、是の時國勢甚だ危うく、摯に傾搖の心有りて意不測に在ること、司馬昭廢辱の事の如きを疑えばなり。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世三省言う、蔡京、摯等の逆心を奏す。則ち其の一時黨附顯著の人、惡を同じくして相い濟すこと、豈に之無きを得んや。劉安世が常に禁中の乳母を雇う事を論じ、陛下已に女寵に親しむと謂い、又た經筵に御せざるを論じ、陛下已に酒色に惑うと謂うが如きは、聖躬を誣罔して章疏に形わす者、果して何の心ぞや。今摯は貶死し、廢は子孫に及ぶ。而して安世は問わず。罪罰科を殊にすること此くの如し。臣其の説を知らざるなり、と。詔して劉安世を梅州に移して安置す。
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