宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
敵請和上以問公公曰如用臣䇿可數百年無事不然四五十年後臣恐戎心又生矣上曰朕不忍生靈受困不如且聴其和四五十年後安知無能捍塞者乎戎遂得和
新字:敵請和上以問公公曰如用臣策可数百年無事不然四五十年後臣恐戎心又生矣上曰朕不忍生霊受困不如且聴其和四五十年後安知無能捍塞者乎戎遂得和
書き下し
敵和を請う。上以て公に問う。公曰く、如し臣の䇿を用いば、數百年無事なる可し。然らずんば、四五十年の後、臣、戎心の又た生ぜんことを恐ると。上曰く、朕、生靈の困を受くるに忍びず。且く其の和を聴すに如かず。四五十年の後、安んぞ能く塞を捍ぐ者無きを知らんやと。戎遂に和を得たり。
現代語訳
敵が和を請うた。帝はそれを公に尋ねた。公は言った。「もし臣の策を用いれば、数百年は無事でいられます。そうでなければ、四、五十年の後に、また異民族の心が起こることを恐れます」。帝は言った。「私は民が苦しみを受けるのに忍びない。しばらくその和を許すに越したことはない。四、五十年の後に、国境を防げる者がいないと、どうして分かろうか」。異民族はそこで和を得た。
解説
講和を許すかどうかで、見ている時間の長さが噛み合わなかった条です。臣の策を用いれば数百年、そうでなければ四、五十年後にまた起こる。帝の返しにも一理あります。いま民が苦しむのに忍びない、四、五十年後に防げる者がいないとどうして分かろうか、と。目の前の苦しみと先の禍いのどちらを取るか。この盟約は、実際には百年以上もちました。
この章句が説くこと
如し臣の策を用いば数百年無事なる可し四五十年の後臣戎心の又た生ぜんことを恐る朕生霊の困を受くるに忍びず且く其の和を聴すに如かず講和時間判断
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