宋名臣言行録 / 前集巻九・孔道輔
初章獻太后稱制郭后侍太后勢頗驕横後宫爲太后所禁遏不得進太后崩上始自縱適羙人尚氏父自所由除殿直賞賜無筭恩寵傾京師郭后妬屢與之忿争尚氏常於上前有侵后不遜語后不勝忿起批其頰上自起救之后誤查上頸上大怒閻文應勸上以爪痕示大臣而謀之上因以示吕夷簡且告之故夷簡因宻勸上廢后上疑之夷簡云光武漢之明主也郭后止以怨懟廢况傷乗輿乎廢之未損聖徳上未許
新字:初章献太后称制郭后侍太后勢頗驕横後宮為太后所禁遏不得進太后崩上始自縦適羙人尚氏父自所由除殿直賞賜無筭恩寵傾京師郭后妬屡与之忿争尚氏常於上前有侵后不遜語后不勝忿起批其頬上自起救之后誤查上頸上大怒閻文応勧上以爪痕示大臣而謀之上因以示呂夷簡且告之故夷簡因密勧上廃后上疑之夷簡云光武漢之明主也郭后止以怨懟廃況傷乗輿乎廃之未損聖徳上未許
書き下し
初め章獻太后、制を稱す。郭后、太后に侍して勢い頗る驕横なり。後宫、太后の禁遏する所と爲りて進むを得ず。太后崩ず。上、始めて自ら縱にす。羙人尚氏に適す。父、所由より殿直に除せらる。賞賜、算無し。恩寵、京師を傾く。郭后妬み、屢々之と忿争す。尚氏、常に上前に於て后を侵す不遜の語有り。后、忿りに勝えず、起ちて其の頰を批つ。上、自ら起ちて之を救う。后、誤りて上の頸を查す。上大いに怒る。閻文應、上に勸めて爪痕を大臣に示して之を謀らしむ。上、因りて以て吕夷簡に示し、且つ之に故を告ぐ。夷簡、因りて宻かに上に后を廢するを勸む。上、之を疑う。夷簡云う、光武は漢の明主なり。郭后、止だ怨懟を以て廢せらる。况んや乗輿を傷つくるをや。之を廢するも聖徳を損せずと。上、未だ許さず。
現代語訳
はじめ章献太后が政を執っていた。郭后は太后に侍って、勢いがたいそう驕り高ぶっていた。後宮の女たちは太后に押さえられて、御前に出られなかった。太后が崩じた。帝ははじめて思うままにした。尚美人のところへ通った。その父は所由から殿直に任じられた。賜り物は数えきれなかった。恩寵は都を傾けた。郭后は妬んで、たびたび言い争った。尚氏はいつも帝の前で、后を侵す無礼な言葉を口にした。后は怒りに堪えられず、立ってその頬を打った。帝は自分から立って止めた。后はあやまって帝の首を引っ掻いた。帝はひどく怒った。閻文応は帝に、爪痕を大臣に見せて相談するよう勧めた。帝はそこで呂夷簡に見せ、そのうえ事情を告げた。呂夷簡はそれによってひそかに、帝に后を廃するよう勧めた。帝は迷った。呂夷簡は言った。「光武帝は漢の明君です。郭后はただ怨みを抱いただけで廃されました。まして御車を傷つけたのですから。廃しても、聖なる徳を損ないません」。帝はまだ許さなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
-
『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
-
『政談』戶籍の事当時も紀州水戸にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他国へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは国中の民を外へは出たさす、当時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、当時諸国の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも実は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合点行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
-
尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
-
『春秋左氏伝』昭公二十六年 王子朝の檄文天周を弔(あはれ)まず、王昏くして若(したが)はず、用って厥の位を愆(うしな)ふ。攜王(けいおう)命を奸(をか)す。諸侯之を替へて、王嗣を建て、用って郟鄏(こうじょく)に遷る。則ち是れ兄弟の能く力を王室に用ふるなり。惠王に至り、天周を靖んぜず、頹に禍心を生じ、叔帶に施(およ)ぶ。惠・襄難を辟け、王都を越え去る。則ち晉・鄭有りて、咸(みな)不端を黜け、以って王家を綏定す。則ち是れ兄弟の能く先王の命に率ふなり。定王の六年に在りて、秦人妖を降して曰く、『周其れ髭王有らん。亦た克く其の職を脩め、諸侯服享し、二世職を共にせん。王室其れ王位を間(うかが)ふもの有らん。諸侯圖らずして、其の亂災を受けん』と。靈王に至り、生まれながらにして髭有り。王甚だ神聖にして、諸侯に惡まるること無し。靈王・景王、克く其の世を終ふ。今王室亂る。單旗・劉狄、天下を剝亂し、壹に若はざるを行ひ、謂ふ、『先王何の常か之れ有らん。唯だ余が心の命ずる所なり。其れ誰か敢へて之を請はん』と。群不弔の人を帥ゐて、以って亂を王室に行ひ、侵欲厭くこと無く、規求度無し。
-
『墨子』耕柱公孟子曰く、「先人に則有り、三のみ」と。子墨子曰く、「孰れか先人にして則有ること三のみと曰わん。子は未だ人の先に有りて後に生ずるを知らざるなり」と。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る