宋名臣言行録 / 前集巻十・陳摶
太平興國初召至闕求一靜室休息乃賜館於建龍觀扄户熟寐月餘方起上方欲征河東搏諫止之九年復來朝始陳河東可取暨王師再舉果執劉繼元平并州
新字:太平興国初召至闕求一静室休息乃賜館於建竜観扄戸熟寐月余方起上方欲征河東搏諫止之九年復来朝始陳河東可取暨王師再舉果執劉継元平并州
書き下し
太平興國の初め、召して闕に至る。一靜室を求めて休息す。乃ち建龍觀に館せしむ。戸を扄して熟寐すること月餘、方に起く。上、方に河東を征せんと欲す。搏、之を諫め止む。九年、復た來朝す。始めて河東の取る可きを陳ぶ。暨び王師再び舉ぐ。果たして劉繼元を執えて并州を平らぐ。
現代語訳
太平興国のはじめ、召されて宮門に着いた。静かな部屋を求めて休息した。そこで建隆観に泊まらせた。戸に鍵を掛けてぐっすり眠ることひと月あまり、やっと起きた。帝はちょうど河東を征伐しようとしていた。陳摶はそれを諌めて止めた。九年、ふたたび参内した。はじめて河東を取ってよいと述べた。ほどなく官軍がふたたび挙兵した。はたして劉継元を捕らえて并州を平らげた。
解説
同じ征伐を、時期をずらして許した条です。**はじめは諌めて止め、九年後にふたたび参内して「取ってよい」と述べた。**そして実際に成功しています。やるかやらないかではなく、**いつやるか**だけを答えていた。前の条の眠り続ける奇行が並んでいますが、この人の助言はいつも時期の話でした。「天下はこれから定まる」も、時期の判断です。
この章句が説くこと
上方に河東を征せんと欲す搏之を諫め止む九年復た来朝す始めて河東の取る可きを陳ぶ暨び王師再び舉ぐ果たして劉継元を執えて并州を平らぐ時期助言征伐
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