宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉摯
公自青社罷職知黄州又分司徙蘄州語諸子曰上用章丞相吾勢當得罪若章君顧國事不遷怒百姓但責吾曹死無所恨苐恐意在報復法令益峻奈天下何憂形於色初無一言及遷謫也
新字:公自青社罷職知黄州又分司徙蘄州語諸子曰上用章丞相吾勢当得罪若章君顧国事不遷怒百姓但責吾曹死無所恨苐恐意在報復法令益峻奈天下何憂形於色初無一言及遷謫也
書き下し
公青社より職を罷めて黄州を知り、又た分司して蘄州に徙る。諸子に語りて曰く、上章丞相を用う。吾勢い當に罪を得べし。若し章君國事を顧みて怒りを百姓に遷さずんば、但だ吾曹を責めて死すとも恨む所無し。苐だ恐る、意報復に在りて法令益ミ峻しからんことを。天下を奈何せん、と。憂い色に形わる。初めより一言も遷謫に及ぶ無し。
現代語訳
劉摯は青州で職を解かれて黄州の知事となり、さらに分司の身となって蘄州に移された。子どもたちに語って言った。「主上は章惇を宰相に用いられた。私の立場からすれば、罪を得るのが当然だ。もし章君が国事のほうを顧みて、怒りを民草に向けないでいてくれるなら、ただ我々だけを責めて死ぬことになっても、恨むところはない。ただ恐れるのは、その心が報復にあって、法令がますます厳しくなることだ。天下をどうしたらよいのか」。憂いが顔色に現れていた。初めから一言も、自分の左遷については触れなかった。
解説
政敵が宰相になり、自分の処罰が確実になった場面です。まず自分の身は勘定から外しました。ただ我々だけを責めて死ぬことになっても、恨むところはない。条件を一つだけ付けています。怒りを民に向けないなら、と。恐れているのはそちらでした。その心が報復にあって、法令がますます厳しくなることだ。個人への報復が制度に変わると、被害を受けるのは関係のない人々です。この条の締めが効いています。初めから一言も、自分の左遷については触れなかった。
この章句が説くこと
上章丞相を用う吾勢い当に罪を得べし若し章君国事を顧みて怒りを百姓に遷さずんば但だ吾曹を責めて死すとも恨む所無し苐だ恐る意報復に在りて法令益ミ峻しからんことを初めより一言も遷謫に及ぶ無し報復法令
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