宋名臣言行録 / 後集巻五・唐介
公語諸子曰吾備位政府知無不言桃李固未嘗為汝等栽培而荆棘則甚多矣然汝等窮達莫不有命惟自勉而已
書き下し
公諸子に語りて曰く、吾政府に位を備え、知りて言わざる無し。桃李は固より未だ嘗て汝等の爲に栽培せず。而して荊棘は則ち甚だ多し。然れども汝等の窮達は命有らざる莫し。惟だ自ら勉むるのみと。
現代語訳
唐介は子たちに語って言った。「私は政府に位を占め、知っていて言わなかったことがない。桃や李は、もともとお前たちのために植えてこなかった。それでいて、茨のほうはたいそう多い。しかしお前たちが窮するも達するも、天命でないものはない。ただ自ら努めるだけだ」。
解説
直言を続けた人が、子に残したものを数えています。桃や李は、もともとお前たちのために植えてこなかった。それでいて、茨のほうはたいそう多い。桃李は後ろ盾になる人、茨は恨みを持つ人です。片方はゼロで、片方だけが多い。詫びてはいません。そうしてきた理由も前半に書いてあります。知っていて言わなかったことがない。そして子には、その帳尻を引き受けろとだけ言いました。ただ自ら努めるだけだ。
この章句が説くこと
吾政府に位を備え知りて言わざる無し桃李は固より未だ嘗て汝等の為に栽培せず而して荊棘は則ち甚だ多し然れども汝等の窮達は命有らざる莫し惟だ自ら勉むるのみ直言家族
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