宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
元符間承君監京城門志完除言官遣客見承君以測其意客問承君近讀何書承君曰吾作墨子詩有知君既得雲梯後應悔當年泣染絲之句為志完發也客言於志完志完折簡謝曰承君辭甚苦因約相見
新字:元符間承君監京城門志完除言官遣客見承君以測其意客問承君近読何書承君曰吾作墨子詩有知君既得雲梯後応悔当年泣染糸之句為志完発也客言於志完志完折簡謝曰承君辞甚苦因約相見
書き下し
元符の間、承君京城の門を監す。志完言官に除せらる。客を遣わして承君に見えしめ、以て其の意を測らしむ。客承君に問う、近ごろ何の書を讀むか、と。承君曰く、吾墨子の詩を作る。「知る、君既に雲梯を得たる後、應に當年泣いて絲を染めしを悔ゆべし」の句有り、と。志完の爲に發するなり。客之を志完に言う。志完簡を折りて謝して曰く、承君の辭甚だ苦し、と。因りて相い見えんことを約す。
現代語訳
元符年間、田昼は都の城門の監督をしていた。鄒浩は言論の官に任じられた。人をやって田昼に会わせ、その意中を探らせた。客が田昼に尋ねた。「近ごろは何の書物を読んでおられますか」。田昼は言った。「私は墨子の詩を作った。『知っている、君が雲梯を手に入れた後、あの年に糸を染めるのを見て泣いたことを、きっと悔やむだろう』という句がある」。鄒浩に向けて発した言葉である。客がこれを鄒浩に伝えた。鄒浩は手紙を折って礼を述べ、「承君の言葉はまことに痛切だ」と言った。そして会う約束をした。
解説
祝いの言葉が来るはずの場面で、返ってきたのが詩の一句でした。墨子は白い糸が何に浸すかで色が決まるのを見て泣きました。雲梯は、その墨子が止めに行った攻城の道具です。**知っている、君が雲梯を手に入れた後、あの年に糸を染めるのを見て泣いたことを、きっと悔やむだろう。**官に就いた君は染まる側になる、という警告です。しかも本人に直接ではなく、探りに来た使いに聞かせています。**承君の言葉はまことに痛切だ。**
この章句が説くこと
元符の間承君京城の門を監す志完言官に除せらる客を遣わして承君に見えしめ以て其の意を測らしむ知る君既に雲梯を得たる後応に当年泣いて糸を染めしを悔ゆべし志完簡を折りて謝して曰く承君の辞甚だ苦し警告就任
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