宋名臣言行録 / 前集巻十・陳摶
摶負經綸之才歴五季亂離遊四方志不遂入山隠居自晉漢以後毎聞一朝革命顰蹙數日人有問者瞪目不答一日方乗驢遊華隂市聞太祖登極驚喜大笑問其故又笑曰天下自此定矣太祖方潜龍時搏嘗見天日之表知太平有日矣遯跡之初有詩云十年踪跡走紅塵回首青山入夢頻紫陌縱榮爭及睡朱門雖富不如貧愁聞劍㦸扶危主悶見笙歌聒醉人携取舊書歸舊隠野花啼鳥一般春豈淺丈夫哉
新字:摶負経綸之才歴五季乱離遊四方志不遂入山隠居自晉漢以後毎聞一朝革命顰蹙数日人有問者瞪目不答一日方乗驢遊華陰市聞太祖登極驚喜大笑問其故又笑曰天下自此定矣太祖方潜竜時搏嘗見天日之表知太平有日矣遯跡之初有詩云十年踪跡走紅塵回首青山入夢頻紫陌縦栄争及睡朱門雖富不如貧愁聞剣㦸扶危主悶見笙歌聒酔人携取旧書帰旧隠野花啼鳥一般春豈浅丈夫哉
書き下し
摶、經綸の才を負う。五季の亂離を歴て四方に遊ぶも、志遂げず。山に入りて隠居す。晉・漢より以後、毎に一朝の革命を聞けば、顰蹙すること數日。人の問う者有れば、瞪目して答えず。一日、方に驢に乗じて華隂の市に遊ぶ。太祖の登極を聞き、驚喜して大いに笑う。其の故を問う。又た笑いて曰く、天下、此れより定まらんと。太祖の方に潜龍たる時、搏、嘗て天日の表を見て、太平に日有るを知れり。遯跡の初め、詩有りて云う、十年の踪跡、紅塵に走る。首を回らせば青山、夢に入ること頻りなり。紫陌、榮を縱にするも爭でか睡るに及ばん。朱門、富むと雖も貧に如かず。愁えて聞く剣㦸の危主を扶くるを。悶えて見る笙歌の醉人を聒するを。舊書を携え取りて舊隠に歸れば、野花・啼鳥、一般の春と。豈に淺丈夫ならんや。
現代語訳
陳摶は世を治める才を抱いていた。五代の乱離を経て四方に遊んだが、志は遂げられなかった。山に入って隠れ住んだ。晋・漢以後、一つの王朝が交代したと聞くたび、数日眉をひそめた。尋ねる人があっても、目を見開いて答えなかった。ある日、ちょうど驢馬に乗って華陰の市に出ていた。太祖が即位したと聞いて、驚き喜んで大笑いした。その理由を尋ねた。また笑って言った。「天下はこれから定まる」。太祖がまだ世に出ていなかったころ、陳摶はかつて天日の相を見て、太平の日が来ることを知っていた。世を逃れた最初のころ、こういう詩があった。「十年の足跡は、俗世の塵の中を走ってきた。首をめぐらせば青い山が、しきりに夢に入る。都大路で栄華をほしいままにしても、どうして眠りに及ぼう。朱塗りの門の家は富んでいても、貧しさに及ばない。愁いながら聞く、剣と戟が危うい主を扶けるのを。悶えながら見る、笙と歌が酔った人をやかましくさせるのを。古い書を携えて古い隠れ家へ帰れば、野の花と鳴く鳥が、いつもの春だ」。どうして底の浅い男であろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・微子篇長沮・桀溺、耦して耕す。孔子之を過ぎ、子路をして津を問わしむ。長沮曰く、「夫の輿を執る者は誰と為す。」子路曰く、「孔丘と為す。」曰く、「是れ魯の孔丘か。」曰く、「是なり。」曰く、「是れ津を知れり。」桀溺に問う。桀溺曰く、「子は誰と為す。」曰く、「仲由と為す。」曰く、「是れ魯の孔丘の徒か。」対えて曰く、「然り。」曰く、「滔滔たる者、天下皆是なり。而して誰と以にか之を易えん。且つ而其の人を辟くるの士に従わんよりは、豈に世を辟くるの士に従うに若かんや。」耰して輟めず。子路行きて以て告ぐ。夫子憮然として曰く、「鳥獣は与に群を同じくす可からず。吾斯の人の徒と与にするに非ずして誰と与にせん。天下に道有らば、丘は与に易えざるなり。」
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論語・微子篇子路従いて後る。丈人の、杖を以て蓧を荷うに遇う。子路問いて曰く、「子、夫子を見たるか。」丈人曰く、「四体勤めず、五穀分たず。孰をか夫子と為す。」其の杖を植てて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿らしめ、鶏を殺し黍を為りて之を食わしめ、其の二子を見えしむ。明日、子路行きて以て告ぐ。子曰く、「隠者なり。」子路をして反りて之を見しむ。至れば則ち行けり。子路曰く、「仕えざるは義無し。長幼の節、廃す可からざるなり。君臣の義、之を如何ぞ其れ廃せんや。其の身を潔くせんと欲して、大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行うなり。道の行われざるは、已に之を知れり。」
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論語・憲問篇子、磬を衛に撃つ。蕢を荷いて孔氏の門を過ぐる者有り、曰く、「心有るかな、磬を撃つや。」既にして曰く、「鄙なるかな、硜硜乎たり。己を知ること莫くんば、斯れ已まんのみ。『深ければ則ち厲し、浅ければ則ち掲す。』」子曰く、「果なるかな。之を難ずること末し。」
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論語・微子篇楚の狂接輿、歌いて孔子を過ぎて曰く、「鳳や、鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諫む可からず、来る者は猶お追う可し。已みなん、已みなん。今の政に従う者は殆うし。」孔子下りて、之と言わんと欲す。趨りて之を辟く。之と言うことを得ず。
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『宋名臣言行録』前集巻十・陳摶摶、華山に隠居す。多く門を閉じて獨り卧す。百餘日に至るも起きず。周の世宗、召して闕下に至らしむ。禁中に於て戸を扄して以て之を試みしむ。月餘にして始めて開く。摶、熟寐すること故の如し。甚だ之を異とす。因りて黄白の術を問う。曰く、陛下は天下の君爲り。當に蒼生を以て念と爲すべし。豈に宜しく金を爲すに意を留むべけんやと。世宗悦ばず。放ちて山に還らしむ。太宗即位す。再び之を召す。闕下に留むること數月。延きて宫中に入りて與に語る。中使を遣わして送りて中書に至らしむ。宰相宋琪等、問いて曰く、先生、元黙修養の道を得たり。以て人に授く可きかと。曰く、練養の道は皆な知らざる所なり。然れども正に白日昇天せしむとも、治に何ぞ益あらん。聖上の龍顔は秀異にして天人の表有り。古今治亂の㫖に洞達す。誠に有道・仁聖の主なり。正に是れ君臣、徳を合わせて以て天下を治むるの時なり。勤めて修練を行うも、以て此に加うる無しと。琪等、表して其の言を上る。上、喜ぶこと甚だし。
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『宋名臣言行録』前集巻十・陳摶陳搏、希夷先生。字は圖南。亳州の人。周の世宗、白雲先生の號を賜う。太宗、希夷を賜號す。