宋名臣言行録 / 前集巻九・李及
蔡君謨嘗書小吳牋云李及知杭州市白集一部乃爲終身之恨此清節可爲世戒乖崖鎮蜀當遨時士女環左右終三年未嘗回顧此重厚可爲薄末之檢柙
新字:蔡君謨嘗書小吳牋云李及知杭州市白集一部乃為終身之恨此清節可為世戒乖崖鎮蜀当遨時士女環左右終三年未嘗回顧此重厚可為薄末之検柙
書き下し
蔡君謨、嘗て小吳牋に書して云う、李及、杭州を知る。白集一部を市う。乃ち終身の恨みと爲す。此の清節、世の戒と爲す可し。乖崖、蜀に鎮す。遨する時に當たり、士女、左右を環る。三年を終うるまで未だ嘗て回顧せず。此の重厚、薄末の檢柙と爲す可しと。
現代語訳
蔡襄がかつて小さな呉の紙に書いて言った。「李及は杭州の長官であった。白居易の詩集を一部買った。それが生涯の心残りとなった。この清らかな節操は、世の戒めとすることができる。張詠は蜀に鎮していた。遊覧するとき、男も女も左右を取り巻いた。三年を終えるまで、一度も振り返らなかった。この重厚さは、軽薄な世の戒めの枠とすることができる」。
解説
二人の逸話を、紙一枚に並べた条です。片方は**詩集を一部買っただけで、それが生涯の心残りになった。**任地で私物を買わなかった、という水準です。もう片方は**三年のあいだ、取り巻く人々を一度も振り返らなかった。**どちらも、していないことの記録です。蔡襄はそれを二つ並べて、**清らかな節操**と**重厚さ**と名付けました。
この章句が説くこと
白集一部を市う乃ち終身の恨みと為す遨する時に当たり士女左右を環る三年を終うるまで未だ嘗て回顧せず此の清節世の戒と為す可し清廉自制記録
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻九・李及公、杭州を知る。毎に林逋を孤山に訪う。林麓を望みて導從を屏け、歩して其の廬に入る。一日、雪を冒して郊に出づ。衆、當に酒を置きて客を召すべしと謂う。乃ち獨り逋を造り、清談して暮に至りて返る。逋死す。公、䘮服を以て哭送し、墓に拜して乃ち歸る。吳兒、是れより其の風俗の薄きを恥ず。
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