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宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修

凡治人者不問吏才能否設施何如但民稱便即是良吏故公為數郡不見治迹不求聲譽以寛簡不擾為意故所至民便既去民思如楊青南京皆大郡公至三五日間事已十减五六一兩月後官府如僧舍或問公為政寛簡而事不弛廢者何也曰以縱為寛以畧為簡則弛廢而民受其□吾所謂寛者不為苛急耳所謂簡者不為繁碎耳識者以為知言

新字:凡治人者不問吏才能否設施何如但民称便即是良吏故公為数郡不見治迹不求声誉以寛簡不擾為意故所至民便既去民思如楊青南京皆大郡公至三五日間事已十减五六一両月後官府如僧舎或問公為政寛簡而事不弛廃者何也曰以縦為寛以畧為簡則弛廃而民受其□吾所謂寛者不為苛急耳所謂簡者不為繁砕耳識者以為知言

書き下し

凡そ人を治むる者は、吏才の能否を問わず、施設の何如を問わず、但だ民便と稱すれば即ち是れ良吏なり。故に公數郡を爲すも治迹を見わさず、聲譽を求めず。寬簡にして擾さざるを以て意と爲す。故に至る所民便とし、既に去れば民思う。楊・青・南京の如きは皆大郡なり。公至りて三五日の間に、事已に十に五六を減ず。一兩月の後には官府僧舍の如し。或るひと問う、公政を爲すこと寬簡にして事の弛廢せざるは何ぞやと。曰く、縱を以て寬と爲し、略を以て簡と爲さば、則ち弛廢して民其の□を受く。吾が謂う所の寬とは、苛急を爲さざるのみ。謂う所の簡とは、繁碎を爲さざるのみと。識者以て知言と爲す。

現代語訳

およそ人を治める者は、役人としての才の有無を問わず、施した政策がどうであったかも問わず、ただ民が「暮らしやすい」と言えば、それがすなわち良吏である。だから欧陽脩はいくつもの郡を治めながら治績を見せびらかさず、名声を求めなかった。寛やかで簡素、かき乱さないことを旨とした。だから赴任した先では民が暮らしやすいと言い、去った後は民が慕った。楊州・青州・南京はみな大きな郡である。欧陽脩が着任して三日五日のうちに、案件はすでに十のうち五、六が減った。一、二か月の後には、役所は寺の僧房のように静かであった。ある人が問うた。「公の政は寛やかで簡素なのに、事が弛み廃れないのはなぜですか」。答えて言った。「放りっぱなしを寛と呼び、雑なのを簡と呼ぶなら、弛み廃れて民がその〔一字を欠く〕を受けることになる。私の言う寛とは、苛立って急かさないというだけのことだ。言う簡とは、こまごまと煩わせないというだけのことだ」。識者はこれを的を射た言葉とした。

解説

前段の医者の比喩を、行政の判定基準に置き換えます。**役人としての才の有無を問わず、施した政策がどうであったかも問わず、ただ民が「暮らしやすい」と言えば、それがすなわち良吏である。**そして、その通りにやった結果が数字で出ています。**着任して三日五日のうちに、案件はすでに十のうち五、六が減った。**ただ、これは放任と紙一重です。問われて、線を引きました。**放りっぱなしを寛と呼び、雑なのを簡と呼ぶなら、弛み廃れる。私の言う寛とは、苛立って急かさないというだけのことだ。**

この章句が説くこと

但だ民便と称すれば即ち是れ良吏なり公数郡を為すも治迹を見わさず声誉を求めず縦を以て寛と為し略を以て簡と為さば則ち弛廃す吾が謂う所の寛とは苛急を為さざるのみ謂う所の簡とは繁砕を為さざるのみ寛容簡素

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