宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
及公為樞副石介有慶厯盛徳頌曰予早識琦琦有奇骨可屬大事敦厚如勃後為相歐陽永叔作晝錦堂記曰臨大節處大事埀紳正笏不動聲色而措天下於泰山之安可謂社稷之臣矣天下傳之以為知言
新字:及公為枢副石介有慶厯盛徳頌曰予早識琦琦有奇骨可属大事敦厚如勃後為相欧陽永叔作昼錦堂記曰臨大節処大事埀紳正笏不動声色而措天下於泰山之安可謂社稷之臣矣天下伝之以為知言
書き下し
公の樞副と爲るに及び、石介に慶暦聖德頌有りて曰く、予早く琦を識る。琦に奇骨有り、大事を屬す可し。敦厚なること勃の如しと。後に相と爲る。歐陽永叔の作れる晝錦堂記に曰く、大節に臨み大事に處し、紳を垂れ笏を正し、聲色を動かさずして天下を泰山の安きに措く。社稷の臣と謂う可しと。天下之を傳えて以て知言と爲す。
現代語訳
韓琦が枢密副使となったとき、石介の『慶暦聖徳頌』に言う。「私は早くから琦を知っている。琦には並外れた骨柄があり、大事を託すことができる。人柄の厚いことは、漢の周勃のようだ」。後に宰相となった。欧陽脩の作った『昼錦堂記』に言う。「大きな節目に臨み、大きな事に処するとき、帯を垂らし笏を正し、声も顔色も動かさずに、天下を泰山のような安らかさに置く。社稷の臣と言ってよい」。天下はこれを伝えて、事の本質を言い当てた言葉とした。
解説
同時代の二人が、それぞれ別の時期に書いた評です。石介は枢密副使のころに骨柄を言いました。**琦には並外れた骨柄があり、大事を託すことができる。**そして宰相になってからの欧陽脩の一文が、この人の像を決めました。**大きな節目に臨み、大きな事に処するとき、声も顔色も動かさずに、天下を泰山のような安らかさに置く。**評価されているのは判断の速さでも弁舌でもありません。何も動かないこと、そのものです。前の巻から並んできた条を読んだあとだと、この評が誇張でないことが分かります。
この章句が説くこと
琦に奇骨有り大事を属す可し敦厚なること勃の如し大節に臨み大事に処し紳を垂れ笏を正す声色を動かさずして天下を泰山の安きに措く社稷の臣と謂う可し評価大事
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